“ローム太霊講話集”第二十三話 術と呪文と真言 Kellyさん的解釈“その一”
今回から第二十三話の解釈に入ることとする。
第二十三話は、後半で述べられている“この背後の霊を知るということ…以下略…”これを中心に説明しておられる。
これ自体が○○○大先生の著書やこのブログで述べている、自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)、いわゆる自分の心(靈)の“どういうつもり”(思惑)、これによる霊的干渉、それは“背後の霊”の援護、そしてもう一つ大事なこととして、すでに解釈した第三話の
“現在の生活が幸福になるか…中略…これを実現するために人間はあらゆる努力をしている…中略…それとは反対に、働かないで幸福を得ようとする、いわゆる僥倖を願って信仰に入いる者が中々多い…中略…この殆んど凡ては天の神、地の神と言われる正統な神の操作によるものではなく、一部の奇鬼神や低級な霊達が自分の本能を満足させるために人間に物を与えてその欲望を利用するのである…中略…よくその背後を見極め…以下略…”
この“背後を見極め”(いわゆる“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と“下”(人の霊的成長を望んでいない存在))これについても詳細に述べておられる。
しかしながら、二十三話の最も大事な要旨は、太霊も
“ここが最も大切な所であるから、よく噛み締めて”と述べておられる通り、
“術は魔法や僥倖によって天降り式に授かると思ったら大間違いで、それは自分が人間として今日までに鍛錬し修行したその波動の中から生まれるもの、言い易えれば、長年納めた年貢米によって初めて神の免許(ゆるし)が得られるのであって、これでこそ真の人間を完成することが出来る…中略…真の人間とは、神がある必要からこの世に生まれさしたもので、それを悟ってこそ神に仕えることが出来る”
であり、この文言中の“神がある必要からこの世に生まれさしたもので、それを悟ってこそ”、これは自分が“この世”で、どう生きていくか、何をすべきか、これを“悟ってこそ”、“上”の立場から観て“真の人間”と言いうると述べておられることに気付くべき。
そしてこれは第二十一話の
“神が与えた人間本来の特権である神の命を実行するものとなってこそ真の人間”
この文言と併せて考えるべきであるし、二十三話の最後で括っておられる以下の文言、
“自分の損得の問題ではなく、それによって他の人々に施すことが、自分の格を向上させると共に、盤石の根を大地に張ることになる”
これがどういうことかをしっかり鑑みよ、である。
今述べた事柄を念頭において次回から第二十三話を詳細に解釈していくこととする。
今回はこれくらいにしときまんねん。