“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 岩の巻 第五帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、岩の巻 第五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。 誠の道行くだけではまだ足らんぞ。 心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。 
苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。 花咲いて実結ぶのざぞ。人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。 神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。 此の道理よく噛み分けて下されよ。
神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。 神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。 眼の玉 飛び出すぞ。 近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。 五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。
二月十六日、ひつ九かミ。

 この第五帖も、たった今の人間の認識の低さを指摘しており、今後=アセンション後は先回も取り上げた第三帖の“善一筋”になるので、それに沿った認識を獲得してその“上”での心(靈)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をせよ、という文言である。

 冒頭の文。
“人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。 誠の道行くだけではまだ足らんぞ。 心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ”

 先に述べたとおり、たった今の人間の霊的成長度の低さゆえの認識を“人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ない”と指摘されており、それではいかん、これまで述べられてきている“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をして、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、お前たちの心(靈)が育ったならば

“ミタマ磨けば”、お前たちの心(靈)が“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応する資質を得て結果として認識が変わってくる

“よく判るのぢゃ、ついて御座れ、(“上”が)手引張ってやる”と言われている。
 これに続く
“誠の道行くだけではまだ足らんぞ。 心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな”
文中の“誠”誠実さのそれ、これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きには無いものであり(不誠実)、そんな心(靈)では“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)としか感応しないので言われているが、自分の心(靈)の自我の肥大を認めて誠実に生きようとするだけではダメという言い回しが“誠の道行くだけではまだ足らんぞ。 心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれ”であり、自分の心(靈)の中の自分に都合の良い考えや自分勝手な解釈、これは智性(神性)無き心であるが、それがあるならば、“上”と感応しないし、“上”の援護も受けられない

“このことわからんと神の仕組おくれると申してあろう”、自分の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)が遅れるのだという言い回し。
 これに続く“早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ”、これは“神烈しく(はげしく)”で、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が自省(胸の磁性“十”)の“行”、いわゆる右往左往から左往右往に入っている人が増えつつはあるが、そんなものでは今後=アセンション後に移行する資質には間に合わないかもしれない

“おくれがち”なのだと言われている。

 次の文。
“苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。 花咲いて実結ぶのざぞ。 人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。 神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。 此の道理よく噛み分けて下されよ”

 文中の“悪い苦労”、人は何のために苦労しなければならないのか、この文言をストレートに解釈すれば、悪のための苦労、それはローム太霊講話集解釈で○○○大先生の著書から引用した“泥棒の行”みたいなこともある。 自分が苦しむ、エネルギーを贖う(あがなう)、それが結果として“善(神格化の方向性と智性の受信)”か“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か、“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)か、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の目的の達成のためなのか、これを鑑みよ、今の自分が何を頑張っているのか、それは先の“誠”でなければいけないのだ、そうでなければその息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、“気(息吹)の毒ざぞ”ということであり、“上”の思惑に適った苦労ならば“よき苦労 花咲くぞ。 花咲いて実結ぶのざぞ”である。
 このことを間違えるなという意味合いで“人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ”であり、これに続く“神の道 無理ないと、くどう申してあらう”の“無理ない”は、たやすいと言う意味合いではなく、“上”の思惑に沿っているならば“うれしうれし”“大歓喜”の事象になっていくのだが、たった今は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きで自分たちの首を絞めている、これに気付かない大ばか者が多すぎる。
 よって“上”の思惑通りに生きよ、それは先にも述べた第三帖の“善一筋”であり、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)なので“此の道理よく噛み分けて下され”である。

 次の文。
“神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ”

 右翼傾向の人が間違える神国ではなく、“国”は(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すものであり、たった今の地球人が自我の確立=固定化から自省(胸の磁性“十”)して“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを行動に表わすのが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であり、それが“創造”の“主(ヌシ)”の思惑なので“元の”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)にそった)“キの国”、“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし、であり、“国”は先に述べたとおりのこと。
 これに相対し、自我の確立=固定化の進化過程の人間は外側(外国と幽界)の事象を観て自分の認識にしているものであり、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)を見るとか観察してダメなところを自分で指摘するとかの心(靈)の動きがない=自省(胸の磁性“十”)していない、その認識の得方、外側しか見ていないで認識を高めてきた段階はもう終わるが、そんな育ち方をした心(靈)では今後=アセンション後に移行しえないという言い回しが“生れが違ふ”、先に述べた“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”により自分の認識を高めて行けよ、という意味合いである。

 次の文。
“神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。 眼の玉 飛び出すぞ。 近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。 五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな”

 文頭の“神の国であるのに”は、先の“神の国は元のキの国”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿った心(靈)であるのに、そうやって“創造”の“主(ヌシ)”はお前たち自身を“創造”したのにもかかわらず、お前たちのやっていることは“近慾”、これは先に解釈した“人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど”と同義であり、その心(靈)だからこそ“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)としか感応しない、“下”と感応した認識しか得られない、その意のことが“渡りて来られんものが渡り来て(これは“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)のこと)、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐる(その息吹でしかない)”と言われており、霊的成長度の区分けの時期は決まっているから駄目なものはダメと“上”は“神の咎め”で示すの意が“あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。 眼の玉 飛び出すぞ”である。
 これに続く“近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな”、この“仏魔”は、たった今どんなに苦しく辛い暮らしであろうとも不平不満を言わず 、世の中にはもっと辛く苦しんでいる人々がおり 、日々の暮らしに感謝して生きるべきとか、下には下の人がいるので耐えることが良いとか、世界は始めから苦痛や苦悩や悲しみの多い掬いなき世界であるのでこれを全てをあるがままに受け入れ、その上で仏に救いを求める、そうするならば死んだあと、癩せいでは救われる、というような教えであるが、これはたった今の事象を蔑ろ(ないがしろ)にすることに繋がりがちであり、たった今の事象でお前たちは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、自分が観ている事象、現津(あきつ)、観察され得る事象、これをよい形にする、神の思惑を顕現していくのが神の子としての生命(生きる使命=存在理由)であるのだ、ということ。
 これに続く“五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらう”、これに関しては日の出の巻 第一帖の解釈から以下にコピペ。 大事な部分に下線を引くこととする。

“石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。”の“石もの云ふ時来たぞ”は自我の肥大、“石屋の仕組み”が盛んになることを示した表記で、それはまたその場(フィールド)、次元が、低い砌(みぎり)の心(靈)の動きで出来上がっているからでもあり、具体的にいえば利益優先とか心無い行いをしても儲けるとか多少の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”は容認するとかであるが、こういう心(靈)の動きをする人間はただ低いのであって、だからこそ“創造”の“主(ヌシ)”に今後=アセンション後の“創造”を託されるなんてことはありえない。 そして“此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、”は、当然のことながら“日月神示”に書かれている“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を示唆した表記で、“道”は“創造”の“主(ヌシ)”の計画であるアセンションの時期と“理(ミチ)”は今後=アセンション後の“創造”の法則性を示し、それは岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開くであり、第四密度に移行するというチャネラーの表記でもありマニピューラチャクラからアナハタチャクラへの覚醒=自我から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現とその心の行使、それは自省(胸の磁性“十”)そのものであるし、自我の肥大というのは心(靈)(ヒ)の中における砌(みぎり)の極性の強化で、これが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きにもなるが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然であり、自我より“上”の心(靈)が発現しなければ“創造”の“主(ヌシ)”の思惑に沿った事象の“創造”は出来ないからこそ、霊的成長度の高低において分けられる事象であるアセンションという事象を体験しなければならない。 そしてそれは“那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時”という表記が示されている砌(みぎり)の極性の高まりと、その心の動きの高まりが“岩戸閉め”であり、これは自我の肥大を示していると思うし、岩戸が占められているからこそ“上”の振動を自らの心(靈)に取り入れることが出来ない(“上”からの通信を受け入れない、自分が悪い方向に向かっていることを認めたくない=自省(胸の磁性“十”)しない)、それを示した表記であると思われる。

 これに続く“生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな”、これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”由来の自分に都合の良い解釈をせず、“役員づら”のように金儲けにも利用せず、“日月神示”自体を自分の心(靈)を育てるものとする、認識の糧とする、そうして池世の意味合いである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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目上(めうえ)と目下(めした)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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