“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 岩の巻 第六帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、岩の巻 第六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。 まだまだ抜かれるものあるぞ。 のばせばのばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。 延ばさねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、云ふ事きいて素直にいたされよ、神たのむぞ。 
愈々時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。
 一八五二六八八二三三一二三 卍千百三七六五卍十 十十八七六五曰一二三五六 八二三二一二三 六五八八 八八 十十二一三八七七八九二六 三二八五 一二○○○○○三 二一八九百一七 百 ○ 四七 九曰三八一三曰二
  
渦巻き 左回転 渦巻き 左回転 メ(目)雨の巻十五帖表記 渦巻き 左回転 一九三三ローレンツ力と ○ 九二○メ(目)雨の巻十五帖表記 
 
ツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用  ローレンツ力と ○ ○ 二五一二二二二三三
 九一かつ十五にち ひつ九のか三
 わからん裡にわかりてくれよ。
旧一月十五日、ひつ九のかミ。

 冒頭の文。
“向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。 まだまだ抜かれるものあるぞ。 のばせばのばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。 延ばさねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、云ふ事きいて素直にいたされよ、神たのむぞ”

 文頭の“向ふの云ふこと”、こちら側=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目論んでいる存在に対しての“向ふ”、これは第一帖の以下の表記が解り易い。
“悪の守護となれば、悪よく見える”そして“この地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。 それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ”、これは形骸に成り果てた権威を示すだけの今の天皇制、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))の既成宗教、これがたった今の当り前、それは一般常識、社会通念、既成概念に成り果てており、これがまともなのか間違っているのか突っ込んで考える人間はとても少ないし、既成宗教や天皇制に限ったことではなく、たった今のなにかはほとんどが腐りきっているものであることを今の人間は考えねばならない、。
本題に戻り、これらすべて人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を妨げるものであるので“まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。 まだまだ抜かれるものあるぞ”と称され、これに続く“のばせばのばせば、人民まだまだ苦しいことになる”、“上”としては一人でも多く次の事象の“創造”に参加する資質を得させたいので時間を引き延ばしているが、引き延ばせば伸ばすほど悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)の活躍は盛んになる、それは先にも述べたとおり大多数の人間が悪魔の傀儡の手法に乗っかっているからである。
 これに続く“延ばさねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、云ふ事きいて素直にいたされよ、神たのむぞ”、これに関しては文章通りで、この前の文の意味を理解できたなら解釈の要は無い。

 次の文。
“愈々時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ”

 霊的成長度の高低における区分け、いわゆるアセンションは神の計画であることは幾度となく述べて来たし、次の事象に参加でき得る心(靈)の資質を持った人間は少ないことも述べてきた。 これが文中の“時節”であり、“神示通りになって来る”、これは神の計画のことと、もうひとつ、“上”としては一人でも多く参加させたい、その資質を得させたいからこそ“神烈しく(はげしく)”で様々な事象の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きによるものを暴き、それは人間から観るならば馬脚を現すということをさせて、自省(胸の磁性“十”)をさせるものであるが、大概の人間はそんなものは自分には関係ないと思いがちである。 それではダメで、自分の心(靈)の中にも程度の低い心(靈)があり、漁夫の利を得たいとか、人をだましても自分は徳をしたいとかの心(靈)があるが、その誰もが持っている低い心(靈)目下(めした)(動物の心(靈)の段階)に対して“心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて”、人間が求めるのは自分の損得ではなく、当然のことながら(通貨としての)金でも形骸の名誉でもない、それを文中の“持ち物さっぱり洗ひかへし”と称され、外側(外国と幽界)の事象のことばかり思わず、先に述べたとおり損得でもなく(通貨としての)金でもなく形骸の名誉でもなく、大事なのは自分の心(靈)の中、自分の在り方、これを鑑みるならば=自省(胸の磁性“十”)して“自分を観察する自分の確立”をしていくならば、その心の在り方が“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)に認められるし、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、ローム太霊講話集の言葉を引用すれば、これ自体が“法(のり)”であるからこそ、“日月神示”では“神のみことに生きて呉れよ、みことになる”と称されているものである。
 これに続く文の“タマぞ、ミコト結構ぞ”、これは
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
なので、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すべく生命(生きる使命=存在理由)、進化を目指す生命と解し、
“ミ”は生命の幹 その現実
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
であり、この表記の前の文を理解するにあたってはキの巻 第七帖
“天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ”
この表記が解り易い。
 
 これに続く以下の表記は、“タマ”“ミコト”の意味合いを強調しているものと思うので、その前提で解釈をする。
まず“一八五二六八八二三三一二三”
“一八”は“一”が“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”、これはア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、の意、向かって日足(ひたり)から砌(みぎり)へ筆を移行することが神の“思惑の顕現”=現象化、この現象化は生命と生命が“観察と認識”する現津(あきつ)、観察され得る事象のこと。 それと人間の心(靈)の“神性”そのものである“一”=智性=1番目のオーラの意、このふたつが感じ取れる。 そして“八”は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が日足と砌(ひたりとみぎり)に離れた形、またこれは“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道を示すものであり、“五二”は糸巻の象形文字、神経が密になったさまである“五”と、肉体の表記である“二”なので進化した生命の意であり、“六”は爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、神の思惑と人の思惑が交わるの意味、次の“八八”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同義であるし、霊の旧字の画像の下半分の人が二つ並んでいる個所と意味が同じ、
靈の解字 

この霊の旧字そのものが、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで神の思惑を顕現する生命(生きる使命=存在理由)の意もあるが、靈だけではダメなのでこれに続く“二”は肉体、“三”は1番目、2番目、3番目のオーラ、もう一つの“三”は、“一”を三つ重ね“天”“地”“人”天地人って言う意味を持つ、いわゆるこの事象、生命が“観察と認識”しうるこの世ということであり、最後の“一二三”は肉体を持った霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が発振、発信している1番目、2番目、3番目のオーラである。
 これに続く“卍千百三七六五卍十”
“卍”は日足(ひたり)回転、“千”は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と胸の磁性“十”、“百”は“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と太陽の意である“日”、これは太陽の振動を“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことで取り込めよの意を感じるし、“三七六五”は、最初の“三”が“一”、智性、1番目のオーラと、“二”肉体、“七六五”は“五六七(みろく)”の反対なので、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である“一”、この振動を太陽を介して取り込み肉体に顕現、それが“一”+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)の“七”であり、それが“六”と“五”に関しては前述のとおり、いわゆる進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命(生きる使命=存在理由)が神の思惑を顕現していく、それを“上”から観たならば神の思惑が生命の完成であるので進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の反対になる、その意が“三七六五”であり、これに続く“卍十”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで日足(ひたり)回転させて胸の磁性“十”を高めよの意である。
 これに続く“十十八七六五曰一二三五六”
“十十八七六五”の“十十”は、胸の磁性“十”の日足と砌(ひたりとみぎり)の極性、思惑だけではダメ、行動だけでもダメ、それは右往左往と左往右往をしっかり理解していないと分らないことであり、自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は“上”と感応した思惑でなければならない、しっかりした理念、“上”が認めうる理念を確立させていなければダメと解し、次の“八”は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、次の“七六五”は先に述べた神の思惑の顕現としての生命(生きる使命=存在理由)、思惑が完成形であるから進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の逆の表記になる、次の“曰”は夜明の巻、曰アけの○キ、のそれであり“曰”は、口(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の意)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)の意、いわゆる生命(生きる使命=存在理由)の発振、発信であるし、それ自体が“一二三”のオーラであり、“六”は前述した通り爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、神と人が交わるの意。
 これに続く“八二三二一二三”
生命(生きる使命=存在理由)は肉体と心(靈)により神の思惑を顕現していくべきであり、そのために進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていくものである。 その意が“八”丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、“二三”は肉体の2~3番目のオーラ、その後の“二”と“一二三”は、肉体から発振、発信される1番目、2番目、3番目のオーラの意味合い。
 これに続く“六五八八”
“六”は爻部(こうぶ)、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、神と生命が交わるの意、“五”は進化した生命が持つ密になった神経の様子、“八八”は先の霊の旧字の下半分と意味が同じ。
 これに続く“八八”も、靈の旧字の下半分と同義。
 次の“十十二一三八七七八九二六”
“十十”は“六五八八”と“八八”にかかり、日足と砌(ひたりとみぎり)が肉体を伴った心(靈)に顕現して腹においては脾=“思う、憂う”と肝=“いきり立つ心(奴と心)”になるが、それだけではダメであり、それプラス胸の磁性“十”、高度な“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”が心(靈)の進化には必須、この“十十”に続く“二一三八”の“二”は肉体の意、あるいは2~3番目のオーラ、“一”は智性(神性)、1番目のオーラ、“三八”は“一二三”のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、あるいは“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、これに続く“七七”は、先に述べたとおり“七”が“一”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑とそれを取り込んだ乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であるが、この“七”が二つ並んでいる表記は目上(めうえ)の脳、大脳新皮質で発現する心(靈)を指すものと解する。 このことは最近○○○大先生が
“総括編”で紹介した以下の画像が理解しやすい。
脳幹と大脳新皮質で発現する磁束

これに続く“八九二六”の“八”は先の胸の磁性“十”が加味された心(靈)である“八八”をさし、“九”は○ 九 十のそれ、生命の完成形のひな型と言いうる“九”と“十”、これも画像で意味を示す。
○ 九 十(まこと)の解字 

“二”は先の“十十二一三八七七八九”自省(胸の磁性“十”)の要素を持ち日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を顕現した脾=“思う、憂う”と肝=“いきり立つ心(奴と心)”を有した肉体の意であり、“六”は爻部(こうぶ)、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、神と人の思惑が交わるの意味。
 これに続く“三二八五”
これは“三”が“一”を三つ重ね“天”“地”“人”天地人って言う意味、“二八五”は“八”が丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、“五”が神経が密になったさま、それを兼ね備えた“二”=肉体の意、だり、要は進化した心(靈)を持った肉体が事象の“観察と認識”をするの意。
これに続く“一二○○○○○三”
これは“一”=智性=1番目のオーラと手の水平磁場で構成される2番目のオーラ、その間に五つの“○”があるが、これ自体が腰椎五つを指し、腰椎五つで止める振動は東洋医学の五行、木火土金水であることを○○○大先生は“総括編”で述べたが、木火土金水自体がこの事象、物質の世界を構成する要素であり、その物質世界に対して1番目、2番目、3番目のオーラを発振、発信している様、人間という生命を指し示している表記。
これに続く“二一八九百一七”
冒頭の“二”、肉体は“一八九”、“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と○ 九 十の“九”、この要素を備えたならば進化した生命と言いうる。 それは“百”、“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と太陽を示す“日”、要は“上”からの振動であるが、それを取り込み“一”=智性=1番目のオーラとなして“七”、“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)となせ、の意。
 これに続く“百○四七”
“百”は前述のとおり太陽を介して贈られてくる“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、それを霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に取り込み、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とせよ=“四”、それは神の“思惑の顕現”を果たす生命の意である“七”、“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であるの意。
 これに続く“九曰三八一三曰二”
“九”は前述のとおり完成された生命のひな型、“曰”は発振、発信、それを“三”、“一”を三つ重ね“天”“地”“人”天地人、この事象に息吹く、それは“八”、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、それはまた“一”=智性=1番目のオーラをこの事象、“三”に息吹く=“曰”、そういった肉体=“二”であれ、の意。
 これに続く“ 
渦巻き 左回転 渦巻き 左回転メ(目)雨の巻十五帖表記  渦巻き 左回転 一九三三ローレンツ力と ○ 九二 ○メ(目)雨の巻十五帖表記  ”
渦巻き 左回転 渦巻き 左回転 メ(目)雨の巻十五帖表記  ”、これは目上(めうえ)の脳の縦の磁性によるローレンツ力ローレンツ力 による荷電粒子の回転を指し、またそれは日足(ひたり)回転、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転であるべきの意、そして“渦巻き 左回転   一九三”、その生命(生きる使命=存在理由)の“一”=智性=1番目のオーラによる心(靈)の日足(ひたり)回転、これ自体が“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転であり、生命の完成形の“九”が充てられ、それが又1番目、2番目、3番目のオーラの意、である“三”が充てられ、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、“一二三”のオーラの発振、発信をこの事象=“三”に息吹け、それは“  ローレンツ力と ○ 九二 ○”ローレンツ力 ローレンツ力 で高い振動を取り込んだ霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と肉体の意である“二”と生命の完成形の意を持つ“九”、これによって外側と内側の事象の“観察と認識”をせよの意で、雨の巻 第十五帖で初めて登場した“メ(目)雨の巻十五帖表記 ”が示され、これには以下の意味がある。(雨の巻 第十五帖よりコピペ)

“今度 次の大層が出て来たら愈々ざぞ。 最後の十十
メ(目)雨の巻十五帖表記   (トドメ)(透答命)ざぞ”
文中の“今度”“次の大層”は、今後=アセンション後に移行する際の醜い事象、もうたった今が醜い事象ばかりの感があるが、おそらくもっと激しくなる、それが“最後の十十 
メ(目)雨の巻十五帖表記 (トドメ)(透答命)”、この“十十メ(目)雨の巻十五帖表記   (トドメ)”は、胸の磁性“十”が二つなのは、思想や考え=日足(ひたり)の極性、外側(外国と幽界)の事象=砌(みぎり)の極性、これを“観察と認識”する=“メ(目)雨の巻十五帖表記  ”であり、“透答命”は、自分たちの心(靈)の動きと外側(外国と幽界)の事象を見透かして、答を見つけるのが生命の使命であるの意、である

これに続く“
ツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用  ローレンツ力と ○ ○ 二五一二二二二三三”
この“
ツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用  ”の表記は、日月の巻 第二十五帖と日の出の巻 第三帖に登場するが、日の出の巻の解釈より以下にコピペする。

“次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ、 
ローレンツ力と ○ ツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用 の月の世ぞ”
この画像
ツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用   は、“月”“通基(二)”であり、“月”は砌(みぎり)の極性であり、さらに先に述べたようにツキ?(日月の巻 第二十五帖 表記)文章用   は、新月から満月に移行する様子を示す。
それは、日足(ひたり)の極性が強まった後の肉体そのものであり、そして“月”“通基(二)”は肉体のオーラ(土)2~3番目のオーラを発振、発信するものでもあるし、さらに“通基(二)”、それは基を通す=神の理(ことわり)を通す(顕現する)肉体の意味である。


よってこの表記は“神の理(ことわり)を通す(顕現する)肉体の意”と解し、 
ローレンツ力と ○ は霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とローレンツ力ローレンツ力 であるので“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んでいく仕組み、これに続く“○二”は、靈と肉体の意、これに続く“一二二二二三三”は、“一”=智性=1番目のオーラと、“二”四つは、肉体、“富士(二二)”、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、もう一つの“二”は2番目のオーラ、“三”が二つは1番目、2番目、3番目のオーラと“一”を三つ重ね“天”“地”“人”天地人、肉体と心(靈)が備わった生命が“観察と認識”をしているこの事象と解する。

 よってこの漢数字と記号のような表記は、今後=アセンション後に移行する肉体と心(靈)の資質と霊的成長の仕組み、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性を述べた表記である。

 最後の“わからん裡にわかりてくれよ”、この“裡”は、 「そのような状態のうちに」の意があり、例えば、隠密裡、成功裡、などに使う字だが、“わからん裡”は進化の仕組みや霊的成長の法則性を理論化するのではなく、体得せよ、であり、神は“神烈しく(はげしく)”でお前たちの在り方を示しているのだからこそ、観て感じて認識として生き、行動に活かせ、である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
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 この二冊は、同時発売です。
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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〈3〉

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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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