“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 岩の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、岩の巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。 こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。 神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。 
一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。
信者引張ってくれるなよ。 道は伝へて下されと申してあらうがな。 竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。 びっくり箱の一つであるぞ。 
キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。
これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。
改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。 悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。
二月十六日、一二の
ローレンツ力と ○   。

 冒頭の文。
“わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。 こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。 神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな”

 文中の“わからんミタマ”は、第一帖の“悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ”、この文で示されている通り自分たちにとって何が“善(神格化の方向性と智性の受信)”なのか、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”なのか、認識できていない、それは換言すれば自分の損得のために“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を容認する、いわゆる“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の人間、そして自我が肥大した心(靈)、これに対し“上”は少しでも進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を願っているからこそ“今迄は機嫌取って引張りて来た”、少しでも変わる、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すように“上”は成長のための試練を与えたりして改心させる、ということを実際に行い(“神の咎め”)、心(靈)が変わることを期待してきたのだが、時期が迫っているので“機嫌取りは御免”そして“こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れる”、要は間に合わない人間は間に合わない、よって“ひときりにいたす”と述べられており、次の段階を指す表記が“神代となれば天は近くなる”、これはたった今の事象に相対して“神烈しく(はげしく)”、“上”の思惑が顕現し程度の低い人間はそこに居られなくなるものであることを示唆し、“上”の思惑を顕現するのはやはり“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して“上”と感応する人間であるから“神人共に”と称されているものである。

 次の文。
“一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。
信者引張ってくれるなよ。 道は伝へて下されと申してあらうがな。 竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。 びっくり箱の一つであるぞ”

 冒頭の“一人となりても”は、たった今の事象が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が大多数なので、一般常識や既成概念そのものが智性(神性)無き心(靈)により腐っている、そこにおいて第三帖の“これからの道は善一筋ざぞ。 インチキ神の前には通らんのざぞ”、この“善一筋”と“インチキ神”、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の意味、これが理解できる、“役員づら”の“インチキ”を判別できるのは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”よりも心(靈)が育っているからであり、心(靈)が育っているゆえに世間から隔絶される、それは先回の第九帖の“捕へられる人民 沢山にある”“牢獄で自殺するものも出来て来る”に相当する霊的成長度であるが、先に述べたように世間から隔絶され孤独感にさいなまれる者となることをこの文言で指しているが、自分思うこと、その理念がまっとうであり信じるに足ると思う、それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)に対して誠実、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に対して誠実、それを文中で“誠の者”と称され、これに相対したった今の事象の大多数の人間は不誠実、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか、が台頭して自分の損得しか考えていないもの、当然のことながらそれは“神の申す事ならば、ついて来る者”に該当するものではない、また程度の低い者が大多数であることを示唆した文言が“誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ”である。
 これに続く“信者引張ってくれるなよ”、これは“役員づら”の手法が信者集め、これ自体が形骸の権威のためのことと金儲けでしかないし、ダメな人間はいくら集まってもダメ、そこで霊的成長度の高まりによる認識の獲得など期待できない、それは“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)の法則性があるので、霊的成長度の低い人間がいくら寄り集まっても“ほんとう”の事柄の追及とか“改心”には至らず、ただ雰囲気に酔う、言葉に酔う、結果として自省(胸の磁性“十”)もなく“改心”もないということにしかなり得ない、それはたびたび“日月神示”に登場する表記の“集団(まどい)、まどゐ”、程度の低い人間の集まりにしかならないものであるし、このことは第一帖の“人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ”、この“悪の仕組み”に相当することであることを分らねばならないものである。
 これに続く“道は伝へて下されと申してあらうがな”、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のことそのものを指し、霊的成長した人間がそれを果たすべきである、ということ。
 これに続く“竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。 びっくり箱の一つであるぞ”、この“竜宮”は、竜の如く“下”のエネルギーが“宮”に上っていく(昇り竜)、宮は宀(うかんむり、頭の意味)と“呂”で、これは頭と腹のエネルギーの回転を示す表記、頭と腹は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)によって結ばれている表記だが、この意味のことであり、これ自体が霊的成長して“一”=智性=1番目のオーラを大きくすることを示唆している。 さらに“竜”の表記は呂と立つ、あるいは太陽に昇る竜、ちなみに月に昇る意味合いは龍。そして乙は乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、これについては画像で意味を示す。

人(丿部と乚部)の解字 

 そして“乙姫”の姫(女性の表記)は砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、なので、霊的成長を果たした心(靈)がこの事象にその“思惑の顕現”をする、ということ。 またそれが“ほんとう”の価値という点で“竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまい”、程度の低い人間には理解不能という言い回しがされ、それがたった今の事象に相対して“びっくり箱の一つ”という言い回しもされている。

 次の文。
“キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ”
 
 カタカナ表記の“キ”は、
天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
アルファベットの“T”については、書き方に意味があり、まず以下の画像を参照のこと。

Tの書き方 
“T”の|(たてぼう)を先に書くのは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、が、“下”(低い心(靈))に下降するさま、横棒 ━ を後に書くのは、“一”=智性=1番目のオーラが“上”であり、左から右に書くので日足(ひたり)=思惑、砌(みぎり)=事象への顕現の意。
 ひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記の“た”は、“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、なので、人間から観た進化していく生命(生きる使命=存在理由)の意。
 よって“キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなる”は、“上”からの振動を取り込んだ進化していく生命が事象の“創造”をするという意、それはやはりたった今の事象が“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応している心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によって“創造”されているからこそ、“キT(た)がよくなる”“キたが光る”“きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来る”と述べられているものである。

 次の文。
“これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ”
 
 この文言自体は程度の低い人間を対象に言われている。 “われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が大多数=“まだ疑ふ人民 沢山”、大多数の人間の霊的成長を望んでいるから“神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃ”、自分たちが正しいと思うならば右往左往と左往右往して認識をえよ=“疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ”、だが、“上”は人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と霊的成長度の高低における区分けを計画している=“あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざ”、
そして大多数の人間は“上”の“大望”通りにならないから、“その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下され”、せめて“改心”くらいせよ、または“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”そして“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、この知識くらいは得ておけ、という意味合いである。

 次の文。
“改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ”

 これは先の文の“型して下され”に続く言い回し、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”と“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化ということを少しでも知ったなら、“上”と感応する素地が少しできると言う意味合いが“見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやる”であり、カタカナ表記の“タマ”は、“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)、なので、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿った生命(生きる使命=存在理由)、それは正しいのであり、その生命が現われ立つ、ということを示した表記。 そして“上”との感応を“力添へ致してやる”とまで述べられており、せめてそれくらいになってくれよ、の意味合いで“せめてそこまで磨いて下され”と言われている。

 次の文。
“悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ”

 あえて解釈の要は無い文言ではあるが、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”に向かうのは“善(神格化の方向性と智性の受信)”に向かうよりも早い、しかもそれは“善”に向かうよりも安易で簡単、しかしそれはすぐ崩れる=“枯れるのも早い”“ポキンぞ”であるし、たった今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の栄耀栄華、それは第三帖の“これからの道は善一筋ざぞ”ではないので、“花のまま枯れる”と言われているに過ぎない。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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