“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 荒の巻 第一帖 Kellyさん的解釈 “その九”



 今回も、荒の巻の以下の文(先回の続き)を解釈をおこなうこととする。

数の極み神ぞ(カズのキワみカミぞ)。 数の極み大素佐成(大数叉名立)(カズのキワみオースサナル)五十の極み(「五十」のキワみ)継ぐ印し給ひて(ツぐシルしタマひて)、幹(実基)字(ミキジ) 完し(マットウし)、完し(マットウし)、山(屋間)の文読み(ヤマのフミヨみ)、皆喜び(ミナヨロコび)、荷ふ理の宮継ぐ(ニナふミチのミヤツぐ) 普字軸の世(フジジクのヨ)。 喜び言(ヨロコびゴト)、全土に響く理ぞ(ゼンドにヒビくミチぞ)。 八雲出雲は(ヤグモイズモは)、聞理じゃ(キクリじゃ)、これは(これは)、基の大数叉名立大神(キのオースサナルオーカミ)、世に光り輝くの理ぞ(ヨにヒカりカガヤくのミチぞ)。 理は世の元に立つ道ぞ(リはヨのモトにタつミチぞ)。 理(ミチ)、遠きには無し(トーきにはナし)、心せよ(ココロせよ)。

 文中に二回登場する“数の極み(カズのキワみ)”、この“数(カズ)”の意味合いは“その三”で解釈した“数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)”、そして“その五”の“数の始の絶対の理ざぞ(カズのハジメのゼッタイのミチざぞ)”のそれである。
 コピペしておく。

“日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)”

“日継(ヒツギ)”、“日”を“継ぐ”これは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を具体的に止めることそのもの、それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、これ自体が天意を顕現(“天詞様”)していくことになる。 そして“数と字の(カズとジの)”は、“字”は“普字”のそれであり“数”は物事の多い少ないの程度を指す表記、これが“絶対光の道(ゼッタイコーのミチ)”にかかっており、“絶対”の“光”は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、これを受け止め“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)する“行”が太陽凝視であることはすぐ解り、これ自体が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”であり、“絶対”の表記は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)というものがこれ以外にないのだ、という厳しい言い回しであり、もうひとつ、たった今の事象はたびたび使っている“絶対の善”では無い、また、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)では、“上”の思惑通り=“絶対”、そして岩の巻で登場した“善一筋”(“善(神格化の方向性と智性の受信)”しかない“道”)ではない、しかし今後=アセンション後は“上”の思惑が“絶対”であり、それしか顕現しえないのだと言う意味合いでもある。

“数の始の絶対の理ざぞ(カズのハジメのゼッタイのミチざぞ)”、

この“数(カズ)”の表記は“その三”の“日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)”、この“数と字(カズとジ)” の意味合いを持ち、この“数(カズ)”“字(ジ)”これは“普字(フジ)”のそれであるが、この事象に天意を顕現すること、それが“日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)”、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を獲得し、その進化した心(靈)が“思惑の顕現”をすること、それは“普字”でもあり、その“数(カズ)”多い少ないの表記は絶対となる、“日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)”、その心(靈)を持った存在だけになっていくのだという意味合いであるし、それはまた下つ巻 第三十七帖の“ひつくの臣民 落ちぶれてゐる”の“ひつくの臣民”、これが“グレン”となっていくこと事態が文言中の“始め(ハジめ)”であり、いずれ“ひつくの臣民”が大多数となり事象のすべてを占める、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で事象の“創造”をするという意味合いが“数(カズ)”の表記に含まれているものであるからこそそれは“絶対の理ざぞ(ゼッタイのミチざぞ)”、“理(ミチ)”は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性の意味合いである。


 上記“その三”と“その五”の表記とその解釈を要約すると、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を高め、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を受け止め自らの心(靈)としたその霊的成長した心(靈)、その存在はこの事象、現界においてその数は多くなる、このこと事態が人(日止、霊止)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“理(ミチ)”、ことわり、進化の法則性、であり、その進化した心(靈)が登場して増え始める、という意味合いをもつものである。
 この事が理解できていると冒頭の“数の極み神ぞ(カズのキワみカミぞ)”の意味合いはすぐ解り、先の“数(カズ)”の意味合いを持つその存在、そして“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことの“極み(キワみ)”、太陽凝視を極めた心(靈)、その存在の登場、そしてこれ事態が神格化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であり、生命の存在の意味と意義、独り神(ひとりがみ、日取り神)、この意味合いを持つ表記である。
 これに続く“数の極み大素佐成(大数叉名立)(カズのキワみオースサナル)”、この“大素佐成”は、“大(オー)”は人間のが手足を広げた様、“素(ス)”は“素盞鳴(スサナル)”のそれ、画像で意味を示す。

“素盞鳴(スサナル)”(日月の巻 第二十九帖の表記)の解字 

 “佐成(サナル)”の“佐(サ)”は亻(にんべん)と左、亻(にんべん)は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と|(たてぼう、こん)なので、“上”である神の思惑が“下”である人間に下降した様子、左は日足(ひたり)の極性、これが成る、の意味合いであるし、“(大数叉名立)”は、“大”は前述した通り、“数”も前述した通り、“叉”は二股になった様、これは日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性でもあるし、思惑(日足(ひたり))と顕現、現象化(砌(みぎり))と解してもよい、“名”と“立”は、形なすもの(名)となりそれが立つ、しっかりはっきり表れるものという意味合い。
 これに続く“五十の極み(「五十」のキワみ)”、“五”は糸巻の象形文字であり、進化した生物の持つ密になった神経の構造をさし、“十”は胸の磁性“十”、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)、その“極み(キワみ)”が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした生命(生きる使命=存在理由)という意味合いであり、これに続く“継ぐ印し給ひて(ツぐシルしタマひて)”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)が天意を“継ぐ(ツぐ)”、その“印し(シルし)”が、先の“数の極み大素佐成(大数叉名立)(カズのキワみオースサナル)五十の極み(「五十」のキワみ)”であるし、それが又冒頭で取りあげた“数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)”、これそのものの意味合いを持たせているものである。
 これに続く“幹(実基)字(ミキジ) 完し(マットウし)、完し(マットウし)、山(屋間)の文読み(ヤマのフミヨみ)、皆喜び(ミナヨロコび)、荷ふ理の宮継ぐ(ニナふミチのミヤツぐ) 普字軸の世(フジジクのヨ)”、冒頭の“幹(実基)字(ミキジ)”、この“幹(ミキ)”は“その八”で解釈した“宮柱太しき立つぞ(ミヤバシラフトしきタつぞ)”、神の思惑を“宮”として、それが太く立つ、神の思惑の顕現となっていくこと、それと同義であり、“(実基)”の“基(キ)”は、ここまでの荒の巻では以下の表記が挙げられる。 それぞれの解釈を読んで意味を理解してもらいたい。

“その二”
“那美(名美)那岐(名基)の(ナミナキの)理の玉継ぐ(ミチのタマツぐ)”
“玉基理ぞ(タマキミチぞ)”
“通基秘理(ツキヒミチ)”
“その四”
“智普く基の天の言玉の理(チアマネくキのテンのイワタマのミチ)”
“生(基)の極みたり(セイのキワみたり)”
“その五”
“日継(日通基)開く文字(ヒツギヒラくモジ)”
“その六”
“答の名基荷負う始め(コタヘのナキニナうハジめ)”、これに関しては解釈を以下にコピペしておく。

冒頭の“答(コタヘ)”の表記、これは“その四”の
“理の極の光の答の山路(大空間)(リのキワミのヒカリのトーのヤマジ)”、
そして“その五”の
“面白に秘解く成答(オモシロにヒトくナルト)”、
この“答”、今回の読みは“コタへ”ではあるが、ここまで解釈してきたとおり、人間が生きている間に様々な現津(あきつ)、観察され得る事象に遭遇し(またそれは個々の霊的成長度の程度にもよるものである)、その時々に思い考えて対処する、その結果、自分が様々な事を追い求めたうえで認識する、それは生命の存在の意味と意義、神と人間の関係、その答え、であるし、これを求めさせて高い認識(悟り、幸取=さとり)を得させること自体が“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の采配である。 
 その“答の(コタヘの)”、これそのものを示唆した表記が“名基荷負う始め(ナキニナうハジめ)”、この“名基(ナキ)”は“その二”の“那美(名美)那岐(名基)の(ナミナキの)理の玉継ぐ(ミチのタマツぐ)意味開くなり(イミヒラくなり)”のそれであり、その解釈は“那岐(名基)(ナキ)”=日足(ひたり)の極性、思惑、そして“名”の表記は認識するための名称の意であり、認識の中において分類して分析してさらに認識(悟り、幸取=さとり)を構築する、その“基”であるし、高い日足(ひたり)の極性ゆえの砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、いわゆる“思惑の顕現”=現象化、こうやって事象を“創造”するのが進化した心(靈)であるし、その高い事象の“創造”を進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)を持つ人間にさせようとする。 それは“うれしうれし”“大歓喜”しかない事象であるし、ローム太霊講話集から引用すれば、第二話の
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち
であり、それを目論んでいるのが“創造”の“主(ヌシ)”であると言いうる。


 それでこの“基(キ)、これはやはり“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”の
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
これが非常に理解しやすく、先に挙げた文言における“基”の表記は、一切の事象、生命だろうが外側(外国と幽界)の事象の現実だろうが内面とか内側(心の中と感じている事)であろうが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であろうが“善(神格化の方向性と智性の受信)”であろうが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であろうが進化を阻む存在の思惑を受けて停滞している者であろうが、あるいは日足(ひたり)の極性であろうが砌(みぎり)、現象化であろうが、それら一切の基、もと、と解することが出来るし、またそれは究極微粒子、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”、あるいは炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の炁、という解釈も成り立ち、その振動そのものが“創造”の“主(ヌシ)”の思惑、あるいは思惑を含んでいる、生命の“創造”をもくろみ現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”をさせている“創造”の“主(ヌシ)”の意図、と解することもできうるものである。
 それで“幹(実基)字(ミキジ) 完し(マットウし)、完し(マットウし)”は、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑が太く幹のように実りそれが“完し(マットウし)”が二回述べられているのは日足と砌(ひたりとみぎり)の極性のことであり、これに続く“山(屋間)の文読み(ヤマのフミヨみ)”の“山(ヤマ)”は目上(めうえ)の脳のことであり“屋間”の“屋”は、肉体を示している尸(しかばね、かばね、心(靈)と肉体で人成り立っているが、心(靈)以外の物質としての肉体の意味)と、横隔膜を表わす横棒━(よこぼう、水平磁場)、そして厶部(しぶ)(物を囲い込んで自分のものとする様子に象る。手を「伸ばす、伸びる」の意がある)と土=2~3番目のオーラで構成されており、肉体に“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を取り込む、の意であり、“間”は、土=2~3番目のオーラの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”、それを取り込んで“一”=智性=1番目のオーラとして、土=2~3番目のオーラに反映させよ、のいみあいであり、“文読み(フミヨみ)”は、“その二”で解釈した“読む開き(ヨむメヒラき)、字出づ理に成り(ジイづミチにナり)、結ぶ玉に弥栄開く(ムスぶタマにイヤサカヒラく)大和心の道ぞ(ヤマトゴコロのミチぞ)。 道開く理の極みぞ(ミチヒラくリのキワみぞ)。 本能秀(生命)月日の極み成る(ホンノホツキヒのキワみナる)読む言の極み(ヨむコトのキワみ)”のそれであり、霊的成長して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)が解る、自らの認識(悟り、幸取=さとり)とする、また認識(悟り、幸取=さとり)としなければ神に近付いたとは言えない、という意味合いの文言であり、そうなったならば、“皆喜び(ミナヨロコび)”、風の巻と岩の巻に登場した“善一筋”、一切が“善(神格化の方向性と智性の受信)”であるならば、“うれしうれし”“大歓喜”の事象でしかない、それしかない、という意味合いであり、“荷ふ理の宮継ぐ(ニナふミチのミヤツぐ)”、神の思惑を“宮(ミヤ)”としてこれを“継ぐ(ツぐ)”、それは“理(ミチ)”を“荷ふ(ニナふ)”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を自らの認識(悟り、幸取=さとり)とする、それが“宮継ぐ(ミヤツぐ)”と“荷ふ(ニナふ)”の意味合いであり、“普字軸の世(フジジクのヨ)”の“普字”に関しては何回も画像で意味を示したので今回は省き、“軸の世(ジクのヨ)”は“その七”で解釈した“このふで軸(時間空間)読(このふでジクヨミ)”のそれと同義、いわゆる一切の事象の意味合いである。 

 次の文。
“喜び言(ヨロコびゴト)、全土に響く理ぞ(ゼンドにヒビくミチぞ)”
 これは先の“皆喜び(ミナヨロコび)、荷ふ理の宮継ぐ(ニナふミチのミヤツぐ) 普字軸の世(フジジクのヨ)”、一切の事象が“善(神格化の方向性と智性の受信)”となるの意。

 次の文。
“八雲出雲は(ヤグモイズモは)、聞理じゃ(キクリじゃ)、これは(これは)、基の大数叉名立大神(キのオースサナルオーカミ)、世に光り輝くの理ぞ(ヨにヒカりカガヤくのミチぞ)”

 冒頭の“八雲出雲は(ヤグモイズモは)”の“雲”は画像で意味を示す。

雲の解字 


 それで“八雲(ヤグモ)”の“八”は“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、そして“普字(フジ)”と同義、“出雲(イズモ)”は取り込んだ振動、自分の認識(悟り、幸取=さとり)を息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)として出す、の意味合い、またそれは認識(悟り、幸取=さとり)を獲得したうえでのことでもあるので、認識の獲得=“聞(キク)”、認識そのもの、“理(リ)”と称されているし、これに続く“これは(これは)、基の大数叉名立大神(キのオースサナルオーカミ)”、認識を獲得した進化した心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)自体が=“これは(これは)”、“基(キ)”それの“大数叉名立大神(オースサナルオーカミ)”これに関しては前述した通りであり、そうなったならば、というよりも“上”の思惑の時期、その時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)が来ればそうなるのだが、それを言い表わしたのが“世に光り輝くの理ぞ(ヨにヒカりカガヤくのミチぞ)”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は“世に光り輝く(ヨにヒカりカガヤく)”、これがまた、“理(ミチ)”生命(生きる使命=存在理由)の法則性であるということ。

 次の文。
“理は世の元に立つ道ぞ(リはヨのモトにタつミチぞ)。 理(ミチ)、遠きには無し(トーきにはナし)、心せよ(ココロせよ)”

 これも進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のことを述べており、特に解釈の要は無いと思うが、“理は(リは)”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は、“世の元に立つ(ヨのモトにタつ)”=一切の事象の根元たるものであり、それはこれから“立つ(タつ)”、それが又“理(ミチ)”=法則性であるの意。
 これに続く“理(ミチ)、遠きには無し(トーきにはナし)、心せよ(ココロせよ)”、これは艮(うしとら)の金神がなぜ人間に“日月神示”を通して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)をといているのか、お前たちなら理解できるのだ、絵空事ではないのだ、もっと真摯に考え“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して実感せよ、自らの認識(悟り、幸取=さとり)とせよ、お前たちの問題なのだぞ、の意味合いで“遠きには無し(トーきにはナし)、心せよ(ココロせよ)”である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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