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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第四帖 Kellyさん的解釈 “その一”


 
 今回から、地震の巻 第四帖の解釈に入ることとする。 第四帖の原文は以下の通り。

同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。 同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。 生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ずる。 同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる。 生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思想系をもつ。 但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる。 また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。 霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。 そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである。 生前の霊人の場合は、自分自身のもつ内の情動はそのままに、その霊体の中心をなす顔面に集約され、単的に現われていて、いささかも反する顔面をもつことは許されない。 一時的に満たすことはできても、長くは続かない。 この情態の原理は、地上人にも、反影している。 生前の世界は、以上の如くであるから、同一状態にある霊人が多ければ、その団体の大きく、少なければ、その集団は小さい。 数百万霊人の集団もあれば、数百、数十名で一つの社会をつくる団体もある。 各々の団体の中には、また特に相似た情動の霊人の数人によって、一つの家族的小集団が自らにしてでき上がっている。 そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されている。 若しそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、その集団は呼吸しない。 而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定まっているのである。 またこれら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない。 総ては 
ローレンツ力と ○ の ローレンツ力 を中心として ローレンツ力と ○ の姿を形成しているのである。 ローレンツ力   と○ とを、生前の世界に於て分離することは極めて至難ではあるが、或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。 しかし、この場合もローレンツ力   は ローレンツ力 であり○ は○ である。 これが地上世界の行為に移りたる場合は、不自由不透明な物質の約束があるため、その分離、乱用の度が更に加わって、真偽混乱に及ぶものである。 悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるが如く写し出されるのである。 生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、御用の悪として自ら許されている。 許されているから存在し行為し現われているのである。 この場合の悪は、悪にあらずして  ローレンツ力と ○ の ○ であることを知らねばならない。 即ち、道を乱すが故である。 地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。 愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。 その根底力をなすは歓喜である。 故に、歓喜なき所に真実の愛はない。 歓喜の愛は、これを愛の善と云う、歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。 その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、 ローレンツ力と ○ となり、 ローレンツ力 と集約され、その集約の ローレンツ力 の中にローレンツ力と ○   を生じ、更に尚 ローレンツ力 と弥栄ゆる。 生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。 大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。 千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。 完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。 されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わねばならぬ。其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。 故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。 其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。 霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。 一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととなる。 地上人と雖(いえど)も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。 しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。 悪と偽に、同時にはいることは、一応の必要悪、必要偽として許される。 何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。 悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである。 霊物のみにて神は歓喜せず、物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、歓喜し、弥栄するからである。 霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、神と現われ給うのである。霊人も子を生むが、その子は歓喜である。 歓喜を生むのである。

 今回解釈するのは
“同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。 同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。 生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ずる。 同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる。 生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思想系をもつ。 但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる。 また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。 霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。 そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである”
ここまでとする。

 上記文言には、ローム太霊が述べた“類魂”と“霊団”、これと共通の要綱があり、これに関してはローム太霊講話集から以下に引用するが、第四帖の文言全体の解釈をするにあたってもこの概念が必須であることを前もって述べておく。

第九話 死の前後 殺人の場合
この執念(しゅうねん)のために自分は浮遊霊に成り下がる…中略…その者の手にかかるか 公(おおやけ)の裁(さば)きによるかして殺される相手の霊は、必ず自分が前に殺した者の霊と一団となってそこに再び二つの魂の争いが続けられる…中略…それらの魂は凡て同じ系統を引いた類(るい)魂(こん)によって、憎悪の霊団に入いりその一員となる仕組み…以下略…
一つの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ、主護神、主護霊の導きの下に大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪ではなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり、死に際しては凡てのことを後輩に委ね、自分は幽界から霊界への神の道一筋に進むよう心掛ければよい

第十話 死の前後 天災、戦争による集団死の場合
一番困るのは戦争で、その憎念はどこまでも双方の国に付き纏う…中略…戦敗国の戦死者の霊団は固より…中略…相手国の首脳や国民を永遠に恨む…中略…戦勝国の戦死者の霊達も亦その相手国に憎悪の念を持ち続ける…中略…そこで高級な神霊達は協力して、それらの霊を集団的に幽界の特別な場所に連れて行き、その浄化向上を…以下略…

第十一話 死後の種々相 正常死の場合
自分の犯した欺瞞は生きている間に発表して世の人に批判を受けるべき…中略…反対に、常に善いことをしていながら、世間からどんなに偽善者呼ばわりされようとも、確固たる信念をもって自分に偽るところなければ、それでよい…中略…これらのことが幽体の進む方向の霊団に入いる元となる…中略…汝等は自らを欺いてはならないと同時に、自分の存在は何万年もの前から続いている先祖の現在での現われであるから、自らを欺くことは先祖を欺くことになる
同じ波動を持つ類似の霊団へと導かれて行くものと思えばよい

第十二話 死後の種々相 正常死の特別の場合
生前一つの宗教に凝っていた場合は、その野原に来ると迎いに集まった類魂の連中がその者を取り巻いて自分達の広場に連れて行き、そこでその宗教の戒律に従ってその幽体が完全に形成されるようにするのであるから、宗教というものも中々よく出来ている。それと同じように、凡てのものを通じてその一番奥を研究している心霊とか密教とか秘密結社の特殊な団体とかでは、その自悔の原でその者が完全な幽体として立派に独り立ちが出来るようになるまで見守ってから自分達の城郭に連れて行き、そこで霊団の一員としての新しい使命を授けて、その道に従い修行をさせることになる

引用終わり。

 冒頭の文。
“同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。 同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ”

 文中の“同気同類”は先の“類魂”“霊団”に相当する、そしてそれは“同一の情態” (情態は心(靈)のありさまの意)であり、“同じ所に”は、“無限段階”である場(フィールド)の特定の位相と解し、その特定の位相に位置する理由と根拠たることは、心(靈)の動きと霊的成長度が近いからであると解するし、これに続く“和し、弥栄え”は、霊的成長度の近いもの同士の寄り集まり、これは霊が荷電粒子の回転であることを鑑みれば、霊自体にも磁束が発現し、それはローレンツ力となり“上”からの振動を取り込むものであるから、一人の靈よりも近いもの同士が寄り集まり集団(霊団)となり、その“情態”が同じように息吹くならば、ローレンツ力も人数分、あるいはそれ以上に強力になることが考えられる。 これに続く“然らざるものは”(そうでない、そのようではない、の意)は、“類魂”でも“霊団”を構成するものではないから、“その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる”と述べられ、違う霊的成長度、違う“情態”ならば、別々に“弥栄え”となり、これに続く“同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ”は“類魂”と“霊団”のことである。 

 次の文。
“生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ずる”

 文中の“生前の世界は、地上人の世界の原因”、これは第一帖の
“生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。 存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである”
これと併せて読むと理解しやすいが、大概の“地上人”の認識においては、地上での生活しか視野にないので、“生前、生後、死後は一連の存在”などと考えることが出来得ないものである。 この文は“生前の世界”から“地上人の世界”に影響を与え、その影響自体が“主体”なのだ、そしてそれは“地上人”の“死後”においても“通ずる”のだと述べている。
 その意としては、第一帖の文言の解釈を以下にコピペしておく。

“地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。 また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。 また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく”
これが“地上人”ではあるが、実相は
“しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。 善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ”
これが先の
“一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。 存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである”
また
“総て永遠の生命”“弥栄”“存在は生命であり、生れつつあるもの”
ということを知れ、であり、先の“生前、生後、死後”も“善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すこと”そして“地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思う”これら一切が“存在以外の何ものもない”であり“存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである”ということを知れ、に関して
“何ものも、それ自らは存在しない。 弥栄しない。 必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。 また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する”
この“何ものも、それ自らは存在しない。 弥栄しない”、これは先の“地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない”であり、これに相対し事象の実相の説明として
“必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。 また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する”
お前たち“地上人”が思うこと以前に“その前なるものによって”、生命はこういうものなのだ、と定められ、それは“呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する”ものなのだ、そしてそれは“地上人”から観たならば“無なる”と認識するだろうが“総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する”、これが“生命”であり、事象の実相であるということを示している。


 この““生命”であり、事象の実相である”ということを理解しておけ、でもあり、“生前、生後、死後”においても“一連の存在”と称されているのは、先の“類魂”と“霊団”所以の目的があってこそ、お前たち“地上人”においては、どんな心(靈)であっても、また、それぞれの個の心(靈)においても“生前、生後、死後”という過程があるのだということを知れ、である。

 次の文。
“同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる”

 これは“類魂”と“霊団”、同じ“情態”、そして“上”“下”はあったとしても、霊的成長度が近い“霊人”の集まりのことを述べ、そこにおいては“地上人”とは違い“且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる”、この集団を構成する心(靈)対心(靈)においては、“同気”=同じような“情態”、“同一線上”=同じような霊的成長度、ならば、こういったものなのだ、と述べられている。

 次の文。
“生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思想系をもつ。 但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる。 また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。 霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。 そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである”

 先の“同気同一線上にいる霊人たち”を“かかる霊人”と称し“肉体人として生れ出でた場合の多く”においては、“同気”であるから“同一の思想系をもつ”と述べられ、これに関してはあえて解釈することでもなかった感があるが、大事なのはこれに続く“但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる”
この“時間と空間に制限されるが故”“相会し、相語られざる場合も生じてくる”、これはこの後の文言の“部分的には相違し、同一のものは一つとしてない”あるいは“生前の生活と同様のことを繰り返すこともある”ということを説明している文言であり、“同気同一線上にいる霊人たち”“根本的容貌は非常に似ている”であっても“肉体人として生まれ出た場合”は、“部分的には相違し”“同一のものは一つとしてない”ということになり、これは多様性であり、またこういったこと事態が神に近付くことである、それはまた“生前、生後、死後”において同じことの繰り返しをしているならば“弥栄え”ではないし、ことに“時間と空間に制限される”“地上人”の過程においては、その“制限”ゆえに模索もある、間違えたりもする(これは右往左往と左往右往の意味合いでもある)、そして人生の在り方(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))を見出そうとするものである。
それは“生前、生後、死後”において、この過程が大事だからこそ“生後”=“地上人”として生まれるのだ、であり、それはまた“存在の意義”でもあり、先の、“制限”ゆえに模索もある、間違えたりもする、これがあるからこそ“真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくる”と言われている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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心(靈)の二面性であり、
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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
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悪を容認する


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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