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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第五帖 Kellyさん的解釈 “その一”


 
 今回から、地震の巻 第五帖の解釈に入ることとする。 第五帖の原文は以下の通り。

全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。 故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。 過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。 故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。 部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。 故に、歓喜が生ずる。 本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。 故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ。 影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。 悪の働きかけ得る真は、真実の真ではない。 悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。 善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じている。 故に、悪には本来の力はなく、影にすぎない。 善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄する。 生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。 生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。 生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。 そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。 悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるのではない。 何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。 地上人的に制限されたる感覚の範囲に於ては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もあるが、それは何れもが弥栄である。 これを死後の生活にうつされた場合もまた同様であって、そこには地獄的なものはあり得ない。 川上で濁しても川下では澄んでいるのと同様である。 要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。 この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。 しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。 本来なきものをつくり出し、一を二にわける。 だが、分けることによって力を生み弥栄する。 地獄なきところに天国はない。 天国を思念する処に地獄を生ずるのである。 善を思念するが故に、悪を生み出すのである。 一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。 即ち、一は二にして、二は三である。 生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては○ である。 ○ は 
渦巻き 左回転 であり ローレンツ力と ○ であり、ローレンツ力   と集約される。 故に、これらの総ては無にして有である。 人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄する処につきざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する。 浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。 故に、神の中に神として総てが弥栄するのである。 悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。 歓喜に審判なく、神に戒律はない。 戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。 このことは神自らを切断することである。 裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、すべては これ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。 行為は結果である。 思念は原因である。 原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。 生前の霊人は、生後の地上人を生む。 地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む。  ローレンツ力と ○ は 渦巻き 左回転 となりて廻り、極まるところなくして弥栄える。 以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。 されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである。 これは只、霊人や地上人のみではない。 あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである。 生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。 地上に於ける総ては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。 地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。 しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。 時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。

 今回解釈するのは
“全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。 故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。 過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。 故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。 部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。 故に、歓喜が生ずる”
ここまでとする。

 ここまでの地震の巻で述べられていたこと、自分たちを含め“一切万象”“全体”、それは“生命”事象の実相、であり、それを個々の心(靈)が“観察と認識”して“形式”“分類”としている、このことが理解できているなら
“全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである”
この意味は解る。
そして、自分を含めた一切が神、その神の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)を自分の心(靈)の中にローレンツ力 
ローレンツ力 で取り込んで存在しているのが自分たちであり、またそれはそれぞれ個々の心(靈)に神が存在しうるカタチであるということを解っていたなら
“故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である”、
これは“一切万象”“全体”がフラクタル(fractal)(自己相似性、自然界のデザインにはどこか共通したものがある)であるということを述べていることに気付けるはずであるし、“一切万象”“全体”の元が、神であり=“神そのものの現われの一部”、その顕現が、個の心(靈)、個々の生命であったり、“形式”“分類”され得るそれぞれの事象であることが理解できる。
 これに続く“過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している”
これは個の心(靈)の中で“弥栄”し続ける神、“神性”と称してもよいが、これが一切の生命に共通である“観察と認識”という行為そのものであり、その個の心(靈)の中の“観察と認識”の中では“現在”と言え、その認識においては“過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在”しうるのだということ。 
これに続く“生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している”
これは個の心(靈)の中にある認識の“生前も死後の世界も”、これらを含め先に述べたように一切が神である、“生前”“死後”という認識は個々の心(靈)の中にあるのであり、“地上人”と“霊界人”の区別なく、それら個々の心(靈)の“神性”はあり、それがまた神の存在であり、そこで息吹くことをして“弥栄”しているのだの意が
“過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している”
この文言から読み取れるものである。
 これに続く
“故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている”
これは個々の心(靈)の“観察と認識”が“分類”“形式”をするからこそ“一切万象”“全体”、“生命”事象の実相は、“弥栄”する、それは第一帖の
“われわれの一切は生れつつある。 神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある”
この文言を思い起こさせるものである。
 これに続く
“部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。 故に、歓喜が生ずる”
これはここまで述べたことを総括している言い回し、“一切万象”“全体”これを個々の心(靈)が“観察と認識”して“分類”“形式”として“雑多”になるが、それが“全体”であり、その“雑多”ゆえ、そして先の第一帖の“われわれの一切は生れつつある”であるから、“全体は存在し、力し、弥栄し、変化する”のであり、それがまた“歓喜が生ずる”これは神そのものの“弥栄”であるの意、である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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