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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第五帖 Kellyさん的解釈 “その六”



  今回も、地震の巻 第五帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

行為は結果である。 思念は原因である。 原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。 生前の霊人は、生後の地上人を生む。 地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む。  
ローレンツ力と ○ は 渦巻き 左回転 となりて廻り、極まるところなくして弥栄える。 以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。 されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである。 これは只、霊人や地上人のみではない。 あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。 故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである。 生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。 地上に於ける総ては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。 地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。 しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。 時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。

 冒頭の文。
“行為は結果である。 思念は原因である。 原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。 生前の霊人は、生後の地上人を生む。 地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む”

 この文言は逆から読んでいくと理解しやすい。 まず“生前の霊人は、生後の地上人を生む。 地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む”、これは“生前”“地上人”“死後”という輪廻転生の過程において、個の心(靈)が育つ=“弥栄”することを述べており、またその過程において心(靈)が育つ理由と根拠は、“生前”の心(靈)の動きと行いによる因果があるからこそ“生後”である“地上人”を“生む”と称され、さらに“地上人”の“死後”は“地上人”の段階における心(靈)の動きと行いにより“死後の霊人”となるが、それはこういった過程において“弥栄”していく、これまでとは違う進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)と変容していくので“生む”という表記が当てられているし、この繰り返し、輪廻転生により進化していくことを“死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む”、そして“生前の霊人は、生後の地上人を生む”、これに繋がっていく、と、説明されているし、それはこの前の文の“原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む”、輪廻転生して、その繰り返しにおいて、さらなる“弥栄”となると称されている。
 この“弥栄”していく過程の“結果は、更に原因となりて”、これに関しては前半の文の“行為は結果である。 思念は原因である”と称され、当たり前のことだが“原因”の無い“結果”はあり得ないし、これがまた“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、における絶対の法則性であり、この文の表記の“思念”は日足(ひたり)の極性、そして“行為は結果”というのは砌(みぎり)の極性であることを読み取るべきで、一切の事象は“思惑の顕現”であり、またそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”からも読み取れるものである。

“創造”の意味と意義 

 次の文。
“ 
ローレンツ力と ○ は 渦巻き 左回転 となりて廻り、極まるところなくして弥栄える”

 個の心(靈)は、○、荷電粒子の場(フィールド)とローレンツ力 
ローレンツ力 により、“上”からの振動を取り込んで“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)して“弥栄”し、それは“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、日足(ひたり)回転していきながら、であり、さらにそれは“無限段階”=“極まるところなくして”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)する=“弥栄える”と称されているものである。

 次の文。
“以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。 されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである”

 輪廻転生、先の“原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む”、これによる“弥栄”は、“本体が歓喜と知られるであろう”、お前たちはこの事を知らないから“知られるであろう”という言い回しがされている。 そしてそれは個の心(靈)の“本体”それは“歓喜”であり、この事を知ったならお前たち特有の“分類”と“形式”による“善悪美醜”は“弥栄”の過程、道程、であることが解る、解るならば、解ったならば、そうなるならば=“されば”、“常に歓喜に向ってのみ進むのである”と称されているものである。

 次の文。
“これは只、霊人や地上人のみではない。 あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。 故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである”

 これも先に取り上げた“原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む”と “弥栄”は、“本体が歓喜と知られる”、これが個の心(靈)の観察対象である“森羅万象の悉く”、これが法則性=“同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至る”であり、“極内より極外”とは“無限段階”であるし、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これの“悉く”の“弥栄”という意味合い。 そして“故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し”そして“これらの三は極めて密接なる関係”というのも“原因は結果となり…以下略…”を説明しているものであるし、“その根本の大呼吸は一つ”は、個の心(靈)を含む“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であることを指しており、これも最初に取り上げた“行為は結果である。 思念は原因である”、いわゆる“思惑の顕現”、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性、これらが“弥栄”となるのだ、あるいは“弥栄”による“歓喜”と同義なのだ、の意である。

 次の文。
“生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる”

 これは先の“思惑の顕現”の説明でもあるし、“生前”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、“生後”=“地上人”の段階、そして“死後”という事象の理由と根拠たりうるのだ、の意である。

 次の文。
“地上に於ける総ては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある”

 これは“生前の世界”の具体的な説明と共に、“生前”の息吹が理由と根拠たりうる“生後”の事象、それは“思惑の顕現”であることを説明している文言である。

 次の文。
“地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。 しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。 時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ”

 お前たち“地上人”の“観察と認識”においては、“生前、死後は映像の如く感覚される”と前置きされているが、“生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎない”、これは先に取り上げた“以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。 されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである”という点において、お前たちは“映像”にとらわれがちであるといえ、“本体が歓喜”であるということに対する認識が出来ていない、それをよく認識(悟り、幸取=さとり)とせよ、の意味合いで
“時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば”
これは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、を、“観察と認識”して、理解して、認識(悟り、幸取=さとり)としていくならば、
“以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ”
“三界”は“生前”“生後(地上人)”“死後”という“分類”と“形式”、その過程、これは“思惑の顕現”である、それは冒頭で取りあげた
“行為は結果である。 思念は原因である。 原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む”
これそのものである、これが“三界の真実”であるという“地上人”に対しての言い回しである。
 それで“本体”に関して、先回も取り上げた第一帖の文言が理解しやすいと思うのでこれを以下にコピペして、今回はこれくらいにしときまんねん。

また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。 地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。 また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。 また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。 しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。 善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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