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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第六帖 Kellyさん的解釈 “その二”



 今回も、地震の巻 第六帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。 上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。 各々が独立していて、他からの障害をうけない。 しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない。 各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。 それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。 地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。 映像として真実であるが、第一義的真理ではない。 故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。 内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。 故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。 

 冒頭の文。
“地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。 上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。 各々が独立していて、他からの障害をうけない。 しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない”

 前半の“地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる”、これは先回解釈したように、“霊人”は“創造”の“主(ヌシ)”に対して、“中心歓喜に向って座し、向って進んでいる”ということを述べており、そのうえでお前たち“地上人”由来の“観察と認識”において“上下、左右、前後に折り重なっていると見えても”、これも先回解釈を述べた通り物理的な位置や位相ということだけではなく、心(靈)の動きとその顕われにおいて、という意味合いを含んでおり、さらにそれはお前たち“地上人”の場合は、“上下、左右、前後に折り重なっている”=物理的な位置と位相、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性に心(靈)が向かっていないように観えたとしても“霊人たちには障害とならない”のであり、それは第三帖の以下の文言が理解しやすい。

“悪は悪として悪を思い、御用の悪をなし、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす。 共に神の御旨の中に真実として生きるのである”
 この文言中の“御用の悪”と“御用の醜”は程度の低い“愛”の行使ゆえの“悪”と“醜”をよく認識する、認識したならばそれより“上”、“善”と“ほんとう”の“美”を求め、顕現しようとするの意。 そしてこれ自体が第二帖の“それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である”に相当するから“悪は悪として悪を思い”と“醜は醜として醜を思い”であり、これは“善”と“美”を理解していくために、程度の低い“愛”の行使ゆえの“悪”“醜”をよく解らねばならない、これがこの場合の“御用”であるし、そしてそれは“その時の各々にとっては、その時の真実”であるからこそ“共に神の御旨の中に真実として生きるのである”と称されている。
 しかしながら“地上人”の場合は“善悪美醜”にとらわれがちである。 これに関しては第一帖の以下の文言が理解しやすい。

“善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。 故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない。 何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからである。 思うことは行為することである。 生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。 存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。 何ものも、それ自らは存在しない。 弥栄しない。 必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。 また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。 地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。 また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。 また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。 しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。 善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ”
 この文言中の“地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思う”、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指標たることではあるが、あくまでも“地上人”の段階においてのそれであることを、お前たち“地上人”は解っておけよ、という意味合いのことが“それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない”という文言の要旨である。 また、少々余談になるが、“地上人”の段階においてその世界では、恨みの連鎖の霊的干渉があり、これを生み出しているのは先に引用した第一帖の“地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うから”、これに由来したことであるからである。
これに続く“各々が独立していて、他からの障害をうけない。 しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない”、“各々”は個の心(靈)の“上下、左右、前後に折り重なっていると見えても”にかかり、そうであっても“他からの障害をうけない”“その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない”、いわゆる“霊人”の段階の個々の心(靈)たちが何を思い何を為そうが、それは一切が“弥栄”であり“それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる”ということを述べている。

 次の文。
“各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。 それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である”

 この文言自体は“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を述べているものであり、個の心(靈)が先の“中心歓喜に向って座し、向って進んでいる”から“各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある”と述べられ、これに続く“霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのである”は、“額”眉間のチャクラ、アジナーチャクラ、と称してもよいし、神道で使われる御鏡(みかがみ)もこの部位を指したものであるとの私見を持つが、この部位が“上”からの振動を受け止め心(靈)が育っていく仕組みになっているものである。

 これに続く次の文。
“地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである”

 これも個の心(靈)が“地上人”の段階であっても、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)により“内的真実のものは額でのみ見得るもの”であることを述べられ、お前たち“地上人”が目で見ている何か、それは“地上的約束下におかれ、映像された第二義的なもの”、それは“一切万象”“全体”“生命”、事象の実相、これの“弥栄”に直接結びつくものでなく、“地上人”の段階の心(靈)はその段階の“観察と認識”における“善悪美醜”にとらわれており、このこと事態が単に“二義的なもの”であることを指摘されている。

 これに続く次の文。
“映像として真実であるが、第一義的真理ではない。 故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。 内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。 故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである”

 先に述べた通り“地上人”の“観察と認識”は“二義的”なものであり、それを“映像として真実であるが、第一義的真理ではない”と称され、先に取り上げた文言ではあるが“目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なもの”であり、“第一義的真理”=“それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる”これによる“一切万象”“全体”“生命”、事象の実相、の“弥栄”と、まったく同義ではないの意であり、そこに“地上人”と“霊界人”の“観察と認識”の相違があるのだということを“霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ない”のではあるが、“地上人”と“霊界人”という段階の違いに関わらず、“弥栄”のために事象の“観察と認識”をしているには違いない、ということを“内質に於ては同一である”と称され、その段階における“観察と認識”の相違を“現われ方や位置に於いては相違する”と述べられているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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