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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第六帖 Kellyさん的解釈 “その三”



 今回も、地震の巻 第六帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。
 
霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。 要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。 歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。 歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ。 この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。 しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。 霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。 何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。 現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない。 地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。 交叉混交はしても、同一方向には向っていない。 そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくるのである。

 今回取り上げる文言は、第三帖で取りあげた“御用の悪”“御用の醜”、これを“霊人”は行っているのだ、というのが要旨のひとつである。 
それでこの記事をお読みになる方は先に“御用の悪”“御用の醜”を解釈した第三帖“その四”をしっかり理解したうえで今回の解釈をお読みいただきたい。
 
 冒頭の文。
“霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。 要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。 歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ”

 先に述べた通りこの“霊人の中”という言い回しにおいて、こういった“霊人”もおりそれは“反対のものを感じ、且つうけ入れて生活している”のであるが、これも“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の“弥栄”であるし=“これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である”そして“歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得している”のであるが、文中にあるように単に“地上人”の“観察と認識”が“理解するに困難なことが多い”、だが“地上人”が“歓喜”や“弥栄”を解っていくにあたっては“御用の悪”“御用の醜”に伴う先の事柄を“知らねばならぬ”と称されている。

 次の文。
“この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。 しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない”

 これは先に述べた通り“御用の悪”“御用の醜”を行っている“霊人”、これを“地上人”が観たならば“邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なり”ということになるが、“本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない”であり、これに関しても先に述べた通りのこと。

 次の文。
“霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。 何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。 現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない”

 冒頭の“霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない”は、第四帖の“同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる”と同義である。 これに関してはローム太霊が述べた“類魂”“霊団”の概念が非常に解り易い、それは同じ程度の霊的成長度と同じような息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)ならば、“同気同類の霊人”であるし、これに“然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる”ということであるから、“地上人”から観て“現実的にみては折り重なって”と、見受けられても(地上人の“観察と認識”の範囲内において、という意味合い)、それは“この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるため”それは“同気同類”ではない、“思念の相違するものは同一の場所には存在しない”、これが“御用の悪”“御用の醜”を為して“弥栄”する“霊人”の様相と言いうることである。

 これに続く次の文は“地上人”における事柄を述べている。
“地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。 交叉混交はしても、同一方向には向っていない”

 冒頭の“地上人に於ても原則としては同様である”とは、“地上人”においても“霊人”同様“善悪美醜”のどれに相当しても“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の“弥栄”ではある、の意。
 そしてこの文言で取りあげている“御用の悪”“御用の醜”を行う“霊人”とそうではない“霊人”、これは“霊人”においては先の“同気同一”でなければ“同一の場所には存在しない”のであるが、これに相対し“地上人”は“この二者が絶えず交叉混交”するし、これが“地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため”と称されている理由であるし、さらにこれに続く“交叉混交はしても、同一方向には向っていない”というのは、いわゆる“善悪美醜”という区別は“地上人”のものの観方“二義的”なのであるが、これが“地上人”の“弥栄”の方向性を見出すための指標となるからであり、そのために“地上人”の世界では“地上的、物質的約束のもとにあるため”、いわゆる“善悪美醜”をはっきり区別していくこと事態が“地上人”の“弥栄”であるという意味合いである。
 そして“地上人”が“霊人”の“善悪美醜”を“弥栄”や“歓喜”と理解しにくいのは、重複するが“地上的、物質的約束のもとにあるため”であり、そこに“地上人”が“御用の悪”“御用の醜”を、“御用”だと思ってはいけない理由と根拠があるからで、その一つとしては“霊界人”には恨みの連鎖の霊的干渉は無い、これは先に述べた通り“地上人”が“善悪美醜”をはっきり区別するために霊的成長の足を引っ張る恨みの連鎖の霊的干渉があるとも言いうるし、“地上人”の“弥栄”と“霊人”のそれはこういった違いがあるものであり、それを“地上的、物質的約束”これは法則性と換言すれば理解しやすいが、これが“地上人”の“弥栄”に関与しており、そこではやはり“善(神格化の方向性と智性の受信)”を目指し、“ほんとう”の“美”を見出そうとすることが大事。 このことについては次の文、第六帖の最後の文言で示されている。
“そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくるのである”

 先に取り上げたように“地上人”は“地上的、物質的約束のもとにある”、そしてそれは“霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくる”とのべられ、“霊人”は“地上人”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、“弥栄”のために、“御用の悪”“御用の醜”を行うものもおり、それはその“霊人”にとっては“御用”であるからこそ“弥栄”ではあるが、“地上人”は“善悪美醜”と恨みの連鎖の霊的干渉を“観察と認識”して自分の在り方を見出して神の思惑を顕現しようとする、これを“特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくる”と称されているものであり、この文言が何を指すのか、“地上人”が何を為すのか、と言えば、ローム太霊がローム太霊講話集第二話で述べた
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち
であると言いうることである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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