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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第七帖 Kellyさん的解釈 “その二”



 今回も、地震の巻 第七帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。 しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。 生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。 本来 悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない。 これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。 一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。 更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。 地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。 悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。 悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となり、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばならぬ。 来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。 しかし、それが最高の理想郷ではない。 更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ。

 冒頭の文の“これが、生命の本体であって”というのは、先回の“大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。 その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。 故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜する”
これの解釈として述べた要旨

● “創造”の“主(ヌシ)”の思惑の顕現
● “創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によること
● これによって個々の心(靈)は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たすものである

これに該当する、これが“生命の本体”であるし、これをお前たち“地上人”は知っておけ、であり、今回取り上げている第七帖の残りの文章は、このことを前提に述べられていることに留意しなければならない。

 この事を踏まえて冒頭の文。

“これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。 しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。 生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである”

 先に述べた“生命の本体”に続く“限られたる智によって、この動きを見るとき”というのは、霊的成長の過程、智性(神性)の獲得の過程において、その不完全さゆえの事象の“観察と認識”、これが“悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある”、これは“地上人”の事情として
第六帖 “その三”で取りあげた

“霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。 何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。 現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない”

これに相対し“地上人”の場合は

“地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。 交叉混交はしても、同一方向には向っていない”

要は“霊界”では“善悪美醜”の“交叉混交”がない、それは“地上人”は“地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する”、この状況であるからこそ智性(神性)を獲得しうる、その獲得は“善悪美醜”を認識して行きながら心(靈)は育つものである、ということを述べられていた。 詳細については先のリンク先の解釈を参考されたいし、これが“限られたる智”、霊的成長の過程においての“観察と認識”においては“悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある”、これはローム太霊が述べた右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、これに相当するものでもあるし、これにより“しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かす”ということになり得るものであり、ここで説かれているのは“地上人”の段階においては、“善悪美醜”を区別して“観察と認識”していくこと事態が“善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かす”となり得るとのべられ、これこそが“生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得る”と称され“地上人”における霊的成長の過程において“神の御旨”=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑、ということを“知り得る”と述べられている。

 これに続く次の文。
“本来 悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない。 これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である”

 これはここまでの地震の巻の文言で幾度か述べられてきたことであり、“善悪美醜”という“形式”と“分類”はあったとしてもそれは、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の“弥栄”であり“歓喜”なのだ、ということである。

 これに続く次の文。
“一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。 更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。 地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い”

 この文言は振動の高低について述べられているものである。 これは“地上人的感覚”=“地上人”の“観察と認識”においては、振動の高低における低い場(フィールド)は“一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い”と指摘され、お前たち“地上人”にこのことの理解は難しいだろうが、高い振動で構成された場(フィールド)は低い振動で構成されたそれよりも“善(神格化の方向性と智性の受信)”であり低い方は“悪(心の動きの本能化と低振動化)”である、という言い回しが理解しやすいが、これも“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、であるが故に、第五帖で述べられている“全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである”、どんなに高振動の場(フィールド)でも低振動のそれであっても、どんなに“善悪美醜”の程度の差を“観察と認識”したとしてもそれは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、であり、“神の中に、神に抱かれて育てられている”ということを“地上人”は知らないからよく知っておけ、ということである。

 次の文。
“悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない”

 “悪的感覚”というのは個の心(靈)における“観察と認識”によって生じるものであり“悪的実態”は行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)である、これに対して“この実情を感覚し分けた”と述べられているのは、先の“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これを“分類”と“形式”として認識し“善悪美醜”の区別をしたとしても、すべてが“弥栄”“歓喜”であることを“体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀である”、そこまでのことを認識(悟り、幸取=さとり)とする個の心(靈)は“稀である”と称され、これこそが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、が、“神の中に、神に抱かれて育てられている”という認識(悟り、幸取=さとり)になるのだ、の意である。

 これに続く次の文。 
“悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となり、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばならぬ”

 これは文言中にあるように“平面的、地上的考え方”においては“悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果”という狭い認識をしてしまいがちなのが“地上人”の段階の個の心(靈)であるという指摘であり、何回も述べるが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、が、“神の中に、神に抱かれて育てられている”、これにおいて“善悪美醜”があったとしてもそれは“弥栄”“歓喜”であり、“己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的である”、これを“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きと読み取れることではあるが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“無限段階”であり“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”も程度の低い進化過程であるから、これも“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、のうちのことであることを解れ、そして“善悪美醜”は個の心(靈)を卑下することに繋がりやすいが、そう思うこと事態が“その考えが悪的であることを知らねばならぬ”であり、お前たちが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すならば、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“無限段階”を認識(悟り、幸取=さとり)として程度の低い心(靈)を蔑むこともせず卑下もしない、どんな段階であろうが生命であるからこそそれは貴いのだ、という認識に至れ、そして程度の低い生命であろうが高い生命であろうが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、なのだ、ということを知れ、である。

 これに続く次の文。
“来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。 しかし、それが最高の理想郷ではない。 更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ”

 冒頭の“来るべき新天地”はあえて解釈の要は無いと思うが、その場(フィールド)においては“地上人”の個の心(靈)は今より進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしているからこそ“悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる”、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、において“善悪美醜”はあったとしても…先に述べたことと重複するが、すべてが“弥栄”“歓喜”であることを解っている段階に至るから“悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる”のであるが、この後に“しかし、それが最高の理想郷ではない。 更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ”と述べられている通り、先回取り上げた“次の弥栄”がある、そのために“努力”せよ、それを目指せ、と述べられており、これをよく認識(悟り、幸取=さとり)とするために先回取り上げた文言を以下にコピペして、今回はこれくらいにしときまんねん。

これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。 その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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