FC2ブログ

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第八帖 Kellyさん的解釈 “その三”



  今回も、地震の巻 第八帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。 故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。 新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。 この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、何れも 
ローレンツ力 の形に於けるが如く同一形式のものではあるが、同一のものではない。 より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れ、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生れ、弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しない。 月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。 これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。 新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。

 今回取り上げる文言も、個の心(靈)が“観察と認識”している事象、これについての理解が出来ていないと読み解けない。
それで、個の心(靈)が“観察と認識”している事象について少し述べるならば、個の心(靈)がその霊的成長度において位置する“無限段階”の場(フィールド)、これは“無限段階”の場(フィールド)の一部しか“観察と認識”しえないものであり、一部しか観察しえない理由は自分の霊的成長度が“無限段階”の“上”から“下”までに至っていない、自分の霊的成長度に相応する場(フィールド)から“下”は観察することが可能という法則性があり、霊的成長を果たしていくならばますます“上”の振動を受けて心(靈)の構成要素となるから“上”の場(フィールド)も“上”の心(靈)の動きも理解していくものであるが、“地上人”においては第六帖の表記、“地上的、物質的約束のもとにあるため”に、自分の心(靈)の霊的成長度において。“観察と認識”しうる“無限段階”の場(フィールド)は物質である肉体を通じての観察であるから、ごく一部の範囲しか“観察と認識”しえない。
 そして事象の“観察と認識”というのは、個の心(靈)が霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であり、その霊的成長度において位置している場(フィールド)における振動との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)によって、事象の観察が行われている。 それは例えば観察対象がそこにあるという認識は、その場(フィールド)の振動を受けて感じ(感じる磁性)ているものであり、振動を感じるからこそ(電磁誘導であるからこそ)そこに観察対象があると認識しうるもので、換言すれば、感じ(感じる磁性)るとは、自分の心(靈)と、自分の心(靈)以外の振動による電磁誘導であり、事象の観察はこれにより行われそれを認識するのだが、事象の“観察と認識”自体は、個の心(靈)の中に投影された何かを“観察と認識”しているものであるということであり、それゆえ“二義的”であり、そこにおいて“善悪美醜”を判別しうるものである。
また重複するが、先の“無限段階”の全体を観察しえない、ということは、自分が自分の霊的成長度において“観察と認識”しうる事象をその場(フィールド)における現実だと思うものである。 これについては、ローム太霊もローム太霊講話集 第二十四話で以下のように述べておられる。

この地球の上には…中略…現界、幽界、霊界、神界の四つの世界があって、そのどこの居住者でも現在住んでいる所がその者にとっての現実である

 これは先に述べたように、自分の心(靈)と、自分の心(靈)で観察している、現津(あきつ)、観察され得る事象、これの構成そのものは振動によるものであるからこそ、“その者にとっての現実”というのは自分の心(靈)の霊的成長度によって限られた“現実”でしかないということも読み取れるし、自分の心(靈)が行っている事象の“創造”とは、自らの心(靈)が感じ(感じる磁性)るからこそ、現実とかこの世界のこととかと認識するものであり、またそれは“地上人”においては現界、幽界、霊界、神界、のうちの現界でもあるし、現界=この世界、この事象、それを自らの心(靈)が認識するのは感覚によってなされているが、感覚というのはすべて振動、“地上人”の狭い認識所以の言葉で言えば電磁波の受信であるということ。 前置きが長くなったが、ここまで述べた事柄を冒頭で述べられている以下の文言から読み取ることが出来る。

“かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。 故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。 新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない”

 文中の“各々その最後の審判的段階”と“新天新地の来る”、これに関しては解釈の要は無いと思うが、霊的成長度の高低においての区分けの時期を指し、これに至るまでは“真の三千世界の実相を十分に知り得ない”=事象の一部しか“知り得ない”ものであり、区分けの時期を通り越したなら、その資質を持つ心(靈)ならば、“真の天国を体得”=そこに至った個の心(靈)が認識しうるのであるし、さらに“新天新地の新しき世界に生れ出づる自己”を認識しうるものであるが、今はその段階ではない、その時期でもない、ということが述べられているものである。

 次の文。
“この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、何れも 
ローレンツ力 の形に於けるが如く同一形式のものではあるが、同一のものではない”

 これは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、において霊的成長度の区分けは“幾度となく繰り返されている”、それは“上”からの振動との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)の段階、個の心(靈)が有するローレンツ力によるものであるから“何れも 
ローレンツ力 の形に於けるが如く同一形式のものではある”のだが、この“幾度となく繰り返されている”区分けにより“同一のものではない”ということが、これに続く次の文で述べられている。

“より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れ、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生れ、弥栄し”

 この文言に関しては“その一”で取りあげた
“その 
ローレンツ力 を幾度となく繰り返すうちに、漸次、内的 ローレンツ力 に向って弥栄する面と、外的、地上的に進む ローレンツ力 と、その交叉融和することによって更に生み出され弥栄する ローレンツ力 と、その各々が各々の立場に於て、すすみ、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄している”、
これを合わせ読むと理解が進むものであり、個の心(靈)が行っている事象の“創造”は第一帖の“われわれの一切は生れつつある。 神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある”ということであり、個の心(靈)である自分たちも、自分以外であるという認識の、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、であっても、今取り上げている文言で言えば“生れ、弥栄し”ということをしているものであり、“その一”の文言では“各々が各々の立場に於て、すすみ、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄している”ものであり、要は事象の“創造”の多様性、それは“われわれの一切は生れつつある”という時間の進行と子の心(靈)が認識しているが所以の事柄であるが、次の文では、事象の“創造”が“無限段階”であったとしても、たとえどんなに“上”から“下”までの事象であっても、ということが述べられている。

“一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しない”

 文中の“一つの太陽”は、“地上人”の認識における物質太陽を指し、“地上人”である個の心(靈)が進化したならば、“上”からの振動の仲介をする“太陽”が“無限段階”であることを理解していくからこそ、現界よる“上”の太陽、これは○○○大先生の著書の読者会のメンバーが毎年参拝するとある神社に祭られているそれであるが、さらにそれより“上”があることを “二つとなり、三つとなり”という言い回しで示されている。 
 それでこういったこと自体、“上”からの振動を個の心(靈)に送り贈る存在は“創造”の“主(ヌシ)”の振動の仲介をする存在である、“太陽”であるということを“更には一つとなる”と述べられ、自分の心(靈)が“無限段階”の“上”から“下”の、どの場(フィールド)に位置していようが、“太陽”は“上”からの振動を自分自身に送り贈る存在である、ということを“理解”せよ、ということである。 

 次の文。
“月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである”

 冒頭で述べられている“月より地球が生れ、地球より太陽が生れる”というのは、個の心(靈)においての事象の“観察と認識”において、という前置きをするならば、“地上人”が観察対象としているのは主に、物質世界、現界、であり、これ事態が砌(みぎり)の極性(事象への顕現)であるが、砌(みぎり)の極性があるからこそ日足(ひたり)の極性である“太陽”を認識しうる=“太陽が生れると云うことを理解する”ということが述べられているのであり、こういったことも個の心(靈)の“観察と認識”においての“二義的”なものであるが、こういった認識があるからこそ個の心(靈)は時間の進行とともに育ち=“弥栄”していくものであるということを、“最後の審判に至れば自ら体得し得る”、神の計画である霊的成長度の高低においての区分けで次の段階に至る資質を持つならば、“自ら体得しうる”ということが述べられているものである。

 これに続く次の文。
“これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る”

 冒頭の“外部的なる智”、これは事象の“観察と認識”においての“善悪美醜”は“二義的”なものであり、また砌(みぎり)の極性所以のものであり、これらが個の心(靈)の霊的成長の指針となるものであるが、これこそが“外部的”な事象を智性(神性)で観察して得られる認識(悟り、幸取=さとり)と言え、これに相対し、先の“自ら体得しうる”それは、“外部的”なものでもなく“二義的”なものでもなく、個の心(靈)である自分を含め“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これ事態が神であることを認識としたうえでなければ、“知り得る”ことが出来ない、それを“外部的”に相対する“内奥の神智”と称されている。

 次の文。
“新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える”

 文言自体に特に解釈の要は無いと思うが、このブログを詳細に読んでいただいている方々には“新天新地”に移行しうる“新人”となっていただきたい旨を伝えておく。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (105)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (23)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (582)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (25)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (115)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード