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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第八帖 Kellyさん的解釈 “その八”


 今回も、地震の巻 第八帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

自分は他であり、他は自分と感覚する。 故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである。 しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない。 死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである。 だが、何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない。 物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない。 しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである。 而して、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵している。 無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜するのである。 無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない。

 冒頭の“自分は他であり、他は自分と感覚”というのは、個の心(靈)が自分自身を“観察と認識”して、観察対象として、“自分は他であり”と認識する、これは“自分を観察する自分の確立”(自らの智性(神性)で自分の心(靈)と肉体を観て、そこにおいて自分の心(靈)の“上”と“下”を見出し、自分の在り方を鑑みる)のことであり、“他は自分”というのは、“自分を観察する自分の確立”由来の観察であっても、観察対象としての“自分は他”であっても、それは“他は自分”であると“感覚とする”ということである。 
 また、“自分を観察する自分の確立”は、智性(神性)の獲得を目的とした真摯な太陽凝視を長年行なうことをしなければならないし、平均的地球人の霊的成長度の目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心、情動中心と言いうるその低い心(靈)のものの観方では“観自在”、自分の在り方を観る、ということをしない、目前の事象に相対して自分はどう在るべきか見出すことすらしないものである。 そういった心(靈)の動きは低いからこそ“ほんとう”の“善悪美醜”と“真偽”を見出さない、あるいは多少判別しても自分にとって都合の良い方を選択して“悪”“醜”“偽”の“創造”をするものである。 
しかしながら“二義的”な“善悪美醜”と“真偽”は自分の霊的成長の指針=“弥栄”に結びつくものであるがゆえに、低い心(靈)もそれなりの“生命”であり、低い事象の“創造”をしていてもそれは“弥栄”であると言いうるものでもある。

 本題に戻り、これに続く
“故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである”

この文言中の“その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志”というのは、先回解釈した事柄、自分自身、個の心(靈)は、“大神のその質と性とをうけつぎ”した“歓喜”の一部であり、それ故に自分の心(靈)の霊的成長度における“同気同一線上”の事象において“同一の呼吸、同一の脈拍の中”において、個の心(靈)が“思惑の顕現”をしようとすること事態が、“弥栄”であり“生命”が為すべきことであるの意である。 
 さらにそれは自我の特性と言いうることであり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていく過程において確立され得る強固な自我を、智性(神性)、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、“創造”、“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する“厳しさ”で諌めることをしなければ、自分が理想とする事象の“創造”は出来得ないものであるし、それがまた独り神(ひとりがみ、日取り神)になり得る資質である。 
それゆえ個の心(靈)は自分が“観察と認識”しうる事象に対し“自分化しようとする意志”を有しているものであると称されているし、これ自体が、重複するが、“歓喜”で構成された個の心(靈)の性質、個の心(靈)は、“大神のその質と性とをうけつぎ”した“歓喜”の一部、それ所以のことと指摘することが出来得る。

これに続く次の文。
“しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない。 死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである”

 これは“地上人”向けの言い回しであり、お前たちが行っている事象の“創造”は先回の“霊界に於ては意志することは直ちに行為となる”のではなく“地上人にありては物質によりて物質の中に、その意志を行為することによって始めて歓喜となり、形体を為し弥栄える”のであるからこそ“しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない”のであるが、輪廻転生、“生前”“地上人”“死後”という“分類”と“形式”を重ねること事態が“弥栄”でもあるからこそ、“一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくる”と称されている。

 次の文。
“だが、何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない”

 これは個の心(靈)が輪廻転生、“生前”“地上人”“死後”という“分類”と“形式”を重ねていく過程において、“物質世界”と関わり、“物質世界”においての“思惑の顕現”をしていきながら“弥栄”するのであるし、このこと事態が“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”でもあるがゆえに、“何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない”と、説明されている。

 次の文。
“物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない。 しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである”

 これは“地上人”、換言すればたった今の平均的地球人の霊的成長度の個の心(靈)に対しての言い回しであるといえ、お前たちの“観察と認識”では“物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつ”と指摘され、お前たちが輪廻転生して“生後”そして“生前”に至るその過程においては“霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない”、これは“弥栄”して輪廻転生するが所以のことであり、それ故に、重複するが“霊”としての“観察と認識”においては“霊的角度から見れば永遠性はもたない”、それは“霊”も“地上人”、“地上世界”に位置するからであり、それ故に“霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない”という説明がなされており、その“霊の永遠性”に関して“しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである”と称されている。 

 これに続く次の文。
“而して、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵している”

 これは先の“霊の永遠性”があるがゆえに、“而して”(そうして、それだからこそ、の意)“永遠性をもつ事物”、この言い回しは“霊”であろうが“物質的”な“地上人”であろうが、それぞれの個の心(靈)が“観察と認識”している事象そのものは“永遠性をもつ事物”であり、“地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵”というのは、先の、個の心(靈)は自分が“観察と認識”しうる事象に対し“自分化しようとする意志”を有しているからこそ“自分に和合せしめる働きを内蔵している”ということである。

 次の文は相対的な事象の観察を中心に述べられている。
“無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜するのである。 無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない”

 “地上人”から観れば“霊”は“無”であり、物質が“有”であり、これは“地上人”所以の“観察と認識”である。 これを前提に“無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし”という文言を解釈するなら、“生前”“地上人”“死後”という“分類”と“形式”においてどの場(フィールド)に位置していようが、先の“自分化しようとする意志”があるからこそ“無は有を無化せんとし”=霊的立場から物質を観るならば物質を“自分化しようとする”、物質と物質世界の良い形を思うものであり、“有は無を有化せんとし”=物質と物質世界に位置している“地上人”はその認識において“霊”を物質的概念に当てはめて認識しようとするの意であり、その立場の違いゆえに、“霊”と“地上人”の双方が思う良い形は、“弥栄”に繋がるの意が“その融合の上に生命が歓喜する”と称され、これに続く“無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本”、“無”と“霊”、“地上人”が思う“有”と“地上人”そのもの、この“分類”と“形式”があるからこそ“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”となり得るのだ、それが“大歓喜の根本”と言えることなのだ、これを“知得”せよ、認識(悟り、幸取=さとり)とせよ、と、第八帖は括られているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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〈3〉

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目上(めうえ)と目下(めした)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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