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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第九帖 Kellyさん的解釈 “その五”



 今回も、地震の巻 第九帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。 霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。 しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。 すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。 動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。 霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。 体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。 悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。 常に、動き栄えゆく、大和の
渦巻き 左回転を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を ローレンツ力 とする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。 それが正しき惟神の歓喜である。 惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。 故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。

 今回取り上げる文言は文末に近い部分から解釈すると理解しやすい。 まず以下の文言から解釈する。
“それが正しき惟神の歓喜である。 惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する”

 文中の“惟神”(かんながら)とはこれまで解釈してきたように、“上”との感応であり、程度の低い進化から徐々に“上”に向かうにつれて、だんだん神の思惑を理解して認識していきそれを顕現する意がある。 それが“正しき惟神”、“正しき”の“正”は“上”と“下”が重なった表記であり“創造”の“主(ヌシ)”と被造物の関係を示すものでもあるので“惟神の歓喜は総てのものと交流”と称され、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、は、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿いながら神に近付く=“歓喜”となり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)事態が“上”との感応であり、“上”からの振動の取り込みと取り込んだ振動の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”と個の心(靈)自体が育っていくことであるから“惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する”と称されている。

 今取り上げた“それが正しき惟神の歓喜である”これの前の文。
“常に、動き栄えゆく、
 大和の 渦巻き 左回転 を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を ローレンツ力 とする立体的うごきの中に呼吸しなければならない”

 この文の“中心を 
ローレンツ力 とする”、電荷を持った何かは、自凝(おのころ)の仕組みによりローレンツ力 ローレンツ力 が生じるからこそ、“上”からの振動の感応が起き、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子の取り込みが成り立つのであり、個の心(靈)はそれぞれの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の段階、いわゆる霊的成長度において個の心(靈)が神の思惑を顕現する、それは、自らの霊的成長度における事象の遭遇をしているものである。 そして“立体的うごきの中に呼吸しなければならない”の“呼吸”は、“上”からの振動の取り込み、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)による“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)、これが“吸”であり、個の心(靈)は常に息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)している、それを“呼”と称されている。 
 その“立体的うごき”とは、人間の肉体、あるいは死んでからも肉体に相応する手足や頭はあるのであり、体各部の磁束によるローレンツ力と、縦の磁束と水平磁場、これによる円形粒子加速機の構造は現界、幽界、霊界、神界、においても共通であり、よってどの界においても“一二三”のオーラは発現し、またそれは個の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)そのものである。 この事を“上下、左右、前後に円を描き”と称され、さらに“中心を 
ローレンツ力 とする立体的うごき”、“上”からの振動を個の心(靈)が“呼吸”しているのだ、とも称され、それはまたどの界においても“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、日足(ひたり)回転、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための回転、であるからこそ、“常に、動き栄えゆく、大和の 渦巻き 左回転 を中心とする”と述べられ、文中の“大和”(やまと)は、日本の古い称し方、日の本とは太陽の振動を取り込んで自省(胸の磁性“十”)する、“本津宮”(もとつみや)に帰る、自らの在り方を鑑み正すの意であり、これらの事柄をまとめれば、“常に、動き栄えゆく”個の心(靈)は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、これを取り込み進化しつつ事象の“創造”を行い自らの心(靈)も育っているのだ、ということになる。
 
 今取り上げた“常に、動き栄えゆく、大和の…以下略…”これの前の文。
“歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。 霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。 しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。 すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。 動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。 霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。 体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。 悪があってもならぬが、悪が働かねばならない”

 まず、
“歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する”
とは、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、その振動を取り込んだ個の心(靈)は日足と砌(ひたりとみぎり)の極性が出来るからこそ“内奥より湧き出づるものは、霊”そして“外部より発するものは体”、これに“属し”“属する”と称され、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これには日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があることも述べられている。 
これに続く
“霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない”、
この文中の“歓喜”を目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心(靈)の平均的地球人の程度の低い解釈のそれと解釈すると意味が通じないことは一目瞭然であり、やはりこの意は神に近付く、と解するのが妥当、そしてこれも日足と砌(ひたりとみぎり)の極性のことを述べているのであり、日足(ひたり)、内面とか内側(心の中と感じている事)、精神性、これがあってこそ、砌(みぎり)、外側(外国と幽界)の事象、肉体、に、自分のまっとうな心(靈)の“思惑の顕現”をする、それが“霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属する”の意である。 そしてそれは日足と砌(ひたりとみぎり)、そのどちらも“創造”の“主(ヌシ)”の息吹によるものであるからこそ、“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”のためのことであるからこそ、“体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない”と述べられている。
 これに続く
“しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。 すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。 動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。 霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。 体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。 悪があってもならぬが、悪が働かねばならない”
これは第九帖で述べられている“復霊、復力、復体”、“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性、これに“復”するために“二義的”な事柄の“善悪”を“観察と認識”する必要性が、個の心(靈)の“弥栄”には必要であるが、これに関する詳細な説明と、先の日足と砌(ひたりとみぎり)の極性による“差”、“差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず”と称され“差”があることにより“弥栄はあり得ない”と称され、さらに、個の心(靈)が“二義的”に“観察と認識”している“善”と“悪”、これにより“善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。 動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる”と説明されており、これに続く
“霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。 体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。 悪があってもならぬが、悪が働かねばならない”
これは先に取り上げた“体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない”、日足と砌(ひたりとみぎり)、どちらも“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”によることであり、この極性事態、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、に、“観察と認識”され得ることであるのだ、の意である。

 ここまでのことを理解して文末に述べられていることを読むと意味はよく解ると思う。
“惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。 故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである”

“惟神の歓喜は総てのものと交流”と“お互いに歓喜を増加、弥栄する”は、先に述べた通り、これがあってこそ“永遠の大歓喜”、個の心(靈)を含めた“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、は、“創造”の“主(ヌシ)”に近付くのであり、それを“大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝く”、“大和”(やまと)は先に述べた日の本、太陽と“本津宮”(もとつみや)であり、“大真、大善、大美、大愛”は霊的成長した個の心(靈)が自分たちが観察しうる事象に顕現する要素、それは
“真”(真固止、誠)
“善”(“善(神格化の方向性と智性の受信)”)
“美”(外側(外国と幽界)の事象にも内面とか内側(心の中と感じている事)にもそれは顕現するべきである)
“愛”(程度の低い自己愛ではなく“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、に対する、の意)であるし、またそれは稜威(“イツ” 古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、意味は、神霊の威力、みいつ、天子の威光、 類義語として、威霊)であるから“光り輝く”と称されている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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