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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十五帖 Kellyさん的解釈 “その三”


 今回も、地震の巻 第十五帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

霊人はまた、いろいろな食物を食している。 云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。 食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。 地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。 そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。 霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。 これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。 食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。 以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。 また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。 現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。 何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。 霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。 そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。 そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。 

 本文の解釈に入る前にまず述べておきたいこととして、“その一”と“その二”では
“霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。 故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ”
この“社会”“住宅”=それぞれの“内分”が寄り集まって構成する場(フィールド)、そして“衣類”=“霊人”の“内分”を表わす、それはその“霊人”を他の“霊人”が、観察して“衣類”と認識しうるものである、ということが述べられていた。
 それで、今回取り上げる文言中の“食物”“食べる”に関して、“地上人”の既成概念で読み取ってはならず、文中にあるように“食物”は“歓喜”の現われと言え、“食べる”は“歓喜”、“上”からの振動を個の心(靈)(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))に取り込むことである。
また“食物”としての“歓喜”も、それを取り込む“霊人”の個の心(靈)も、“神”の一部である。
よって“食物”を“食べる”とは、“上”からの振動の取り込み、受信、感応、であり、またそれは神に近付くこと、これもまた“歓喜”であり、これが進めば、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)というよりも合体とか融合という表記が適切であるということを(○○○大先生は)常々思っているが、その概念に相当することが今回取り上げている文言で述べられている。

 冒頭の文。
“霊人はまた、いろいろな食物を食している。 云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。 食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである”

 この言い回し自体が“霊人”のことを知らない“地上人”向けである。 大事なのは“霊人の食物”これが“その霊人の状態によって千変万化する”、この“状態”は“内分”であり霊的成長度であり息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の種類、これによって“上”からの振動=“歓喜”の顕現である“霊人の食物”それは“霊食”これが“千変万化する”と読み取るべきであり、“上”からの振動=“歓喜”自体、これは“上”の思惑の顕現であり“食物”というカタチになっており、それを“食べる”“霊人”、この双方が、“何れも、食べると云うことによって歓喜している”=神に近付く、と称されている。

 次の文。
“地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである”

 これも“地上人”向けの言い回しであり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した個の心(靈)は、“上”からの振動の顕現である“食物”“霊食”を、“身体全体から食べる”、それは取り込む、受信、感応、ということをしているものであるが、お前たち平均的地球人=“地上人”は物質を取り込んで消化吸収して体をつくったりエネルギーにしたりという程度のことしか“観察と認識”していないからこういう言い回しをされている。
だが“地上人”においても“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込む“行”はある。 
これを真摯に行っている人間はごく少数である。
少々余談になったが、個の心(靈)が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するには“上”からの振動の取り込みをする、そして“地上人”は“物質”である肉体を伴った個の心(靈)であるからこそ“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)するものである。 
さらに「悟る」という字を見ると、心(靈)を示す忄(りっしんべん)と五つの口、五つの振動を受信しているのだ、という、○○○大先生が著書で述べたことを付け加えておくし、太陽凝視を行っている人間がこの文言を読んだらここまでのことを思うべきである。

 次の文。
“そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。 霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである”

 これは冒頭で述べた“霊人”である個の心(靈)が“上”からの振動の顕現である“霊食”を取り込んで“調和し、融け合い、一つの歓喜となる”のであり、これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していけばいくほど神との合体とか融合、という段階に入ることを示唆した文言である。
 これに続く“霊人から見れば”と“食物から見れば”は、たがいに神の一部であり、“霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となる”という結果になるが、この双方、どちらも神の一部であり、立場が違えども“歓喜”、神に近付く、の意である。

 次の文。
“これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある”

 言うまでもなく“地上人”の“食べる”“行為”は物質の取り込み中心と認識されている。 この物質の取り込みであってもそれは、物質自体が“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、一部と言いうるので、神であるし“歓喜”であるとも言いかえることが出来るが、たった今の程度の低い地球人である“地上人”は、程度の低い振動しか認識できず、程度の低い振動しか取り込めない、それを“地上人と相通ずる”のではあるが、“歓喜の度合および表現には大きな差がある”と述べられている。

 次の文。
“食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである”

 これは先の解釈で述べたことであり、“地上人”であっても“霊人”であってもその“食物”は“歓喜”であり、言い換えればそれは振動の取り込みであり、その振動の元たることは“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の振動の低振動化といえ、先に述べたように“地上人”は物質中心の認識しか持ちえないから既成概念として“食物”は物質であるし、“霊人”の段階に至ればもっと高い振動が顕現した“霊食”を取り込む。 そしてそれは低かろうが高かろうが、神であり、振動であるから、“食物は歓喜”そして“歓喜は神である”そして“神から神を与えられる”、神の一部である個の心(靈)は神の一部である“食物”、“創造”の“主(ヌシ)”が元たるその振動を取り込んでいる様を述べられている。

 次の文。
“以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である”

 これは“霊人”も“食物”も“創造”の“主(ヌシ)”の息吹の振動の低振動化したものであるから、それを“他から霊人の食べるのを見ている”と、先の“調和し、融け合い、一つの歓喜となる”ので、“食べているのか、食べられているのか判らない程”、そこにはもう“食べる”という表記に当たらないほどになるのだ、ということである。

 次の文。
“また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。 現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。 何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。 霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである”

 これは“歓喜”のためには、という文言でそれは“その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む”べきであり、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、これの一部である自分たちと“食物”、その取り込み、換言すれば振動の取り込み、これは“その霊体のもつ質より遠くはなれた”振動を取り込むべきであり、それを“地上人”向けに解り易く説いたのが“現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない”と称され、その理由として、“何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくる”、自分たちを構成する振動と違う種類のものを摂れよ、であるし、これが“地上人”が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のステップを上がるのには必須であるからこういう言われ方をしているものであるし、これに続く“霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となる”は、“その霊体のもつ質より遠くはなれたもの”、この取り込みが“歓喜”になる、神に近付く、ということを強調した言い回しであり、“地上人”の世界では家畜の浮遊霊の恨みの連鎖の霊的干渉の現象化がどんどん増しているが(誰でもよいから殺したいという事件)、こういった結果になっていることを知らねばならず、結果として恨みの連鎖の霊的干渉は恨みの連鎖を増大させるものにしかならない、それは“霊人”の場(フィールド)では違うだろうが、“霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となる”ということを知っておけよ、である。

 これに続く次の文。
“そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。 そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである”

 “歓喜によって調理”は、神に近付く振動による“調理”であり、それは愛念とか感謝とか、個の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に相当するものであると解し、先に述べられていたように“霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となる”からこそ、“地上人”が思うような食べ残しなどなく、“食物”自体が“上”からの振動である、それと“和し、融け合い、一つの歓喜となる”、よって“(“上”から)与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さない”と称されているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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