FC2ブログ

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十七帖 Kellyさん的解釈 “その一”


 
 今回から、地震の巻 第十七帖の解釈に入ることとする。 第十七帖の原文は以下の通り。

地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。 しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。 大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである。 死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている。 意志のみでは力を生まない。 理解のみでも進展しない。 意志と、理解との結合によって弥栄する。 このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、何人もはっきりと知り得る。 しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。 精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。 その期間は五十日前後と見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。 この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている。 故に、何人も、この世界へ進み易いのである。 また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。 天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実状であり、神の御意志である。 しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。 其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。 この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。 以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。 否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。 故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。 他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである。 何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。 また一の世界における善は、二の世界では善でなく、二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。 しかし、その総ての世界を通じ、更に高き 
ローレンツ力 に向って進むことが、彼等の善となるのである。 ローレンツ力 は中心であり、大歓喜であり、神である。 死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。 生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。 生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。 霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。 故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。 しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。 死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。 何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。 現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。

 今回解釈するのは、
“地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。 大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである”
ここまでとする。

 今回取り上げる文言は、先回の第十六帖 “その四”の以下の文言の続きである。
“人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。 第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。 七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである”

 この“肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰る”そして“漸次その状態に入る”と、必ず“準備”“新しき霊的生活への準備的状態”となっていく、その際の個の心(靈)の、観察しうる事象の“観察と認識”において、“地獄的現われ”があるものである。 
それは先回解釈したように平均的地球人には足りない自省(胸の磁性“十”)の“行”であり、“生後”=“地上人”の段階において自我の確立=固定化をしているのが、たった今の平均的地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)なのであるが、それが“死後”に移行したならば、自我の肥大から自省(胸の磁性“十”)という心(靈)の動きを持たなければ“新しき霊的生活への準備的状態”とはなり得ない。
このことはカテゴリーは違うがローム太霊講話集解釈「死の前後」「死の種々相」においても同様のことが述べられており、自我の確立=固定化から自省(胸の磁性“十”)して“慈悲”と“慈愛”という心(靈)の動きになっていくこと事態が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であることは幾度となく述べてきた。
 またこれは、本来生きている間に成し遂げるべきであり、自我中心の心(靈)のままで“死後”に至ると、本能、情動、功名心、自我、低い愛(炁)、所以の“地上世界”に執着したままの程度の低い霊的存在になってしまう(地縛霊や因縁靈や浮遊霊など)ことはローム太霊が説明された通りである。 
この意味合い、生きている間に自省(胸の磁性“十”)の“行”をすることをも含め、今回取り上げている文言では、
“地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る”
と述べられており、当たり前のことではあるが各々の個の心(靈)の中の進化の方向性に向かわない低い心(靈)、それを○○○大先生は著書で“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と定義づけており、さらに個の心(靈)の“観察と認識”の中において自省(胸の磁性“十”)ということが無ければ、自分自身の良い形を思わず進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を見出して確立させていくことになり得ないからこそ、“御用の悪”があり得るのであり、また進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を導き出すが故にそれは“御用”であるが、それは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、において、いわゆる“大神の中に、すべてのものが生長している”がゆえに
“しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。 大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである”
この“真実の地獄ではない”、先に述べたように各々の個の心(靈)の中の事象の“観察と認識”の中に“映像”され得るそれをみて、“地獄”と認識する、そしてそれを観たならば、自分はどう在るべきが鑑みる、それをして“新しき霊的生活への準備的状態”という“状態の変化”をしていくものである。
 これについては、すでに解釈した以下の文言とその解釈を読んでいただき理解を深めていただきたい。

第三帖
“地獄的なものも天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われであることを知らねばならない。 天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団がある。 何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行なわれるからである。 この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜でなく、憎は憎でなく、また地獄は地獄でない。 地獄は本来ないのである。 また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは、天国も天国ではない。只ひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである”

第五帖
“要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。 この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ”

第十五帖
“所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである”

 さらにこの“大神の中に、すべてのものが生長している”、それは第十五帖の“大平衡”所以のことであるので、以下にコピペしておく。
“神は、左手にて 
左手 地震15  の動きをなし、右手にて 右手 地震15  の動きを為す。 そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。 地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。 この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。 その平衡が、神の御旨である。 平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。 左手は右手によりて生き動き、栄える。 左手なき右手はなく、右手なき左手はない。 善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。 神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。 新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。 始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである”

 よって“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の“弥栄”を指す文言
“大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長している”
この文言の前に述べられていること
“しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない”、
これは各々この心(靈)の中のことであるからこう述べられていることを読み取るべきである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (105)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (23)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (582)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (25)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (115)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード