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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十七帖 Kellyさん的解釈 “その五”



 今回も、地震の巻 第十七帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。 生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。 生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。 霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。 故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。 しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。 死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。 何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。 現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。

 ほとんどの“地上人”は、“死後”について知らない、また(目上(めうえ)の脳を使っていないので)しっかり考えたこともない。 
 それゆえ第十七帖では。“死後”について解っていない“地上人”に対して“死後”における個の心(靈)の“状態の変化”と、個の心(靈)が“観察と認識”しうる事象について述べているものである。
 それは、形骸の権威を示したり、商売に成り下がった既成の宗教で述べられているまったくいい加減な“死後”についてしか“地上人”は知り得ないからであるし、その真偽を考えない程度の低い霊的成長度であるからでもある。

 その個の心(靈)の“状態の変化”と、個の心(靈)が“観察と認識”しうる事象、まず“その二”で取りあげた
“死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている”、
個の心(靈)は“死後”、“霊、現の中間の世界”に位置し、そしてその際の個の心(靈)は“中間体”と称され、さらにそれは第十六帖 “その四”で取りあげた
“人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入る”
この“直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入る”と“霊そのものの本来の姿に帰る”、この過程、“状態の変化”について述べているのが第十七帖の要旨の一つでもある。
 その“状態の変化”は“その三”で取りあげた
“中間世界から天国的世界をのぞむ”、
また“その四”で取りあげた
“中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくる”、
その際の個の心(靈)の“状態の変化”、“その二”で取りあげた
“生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。 精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される”
この“清算”は解釈した通り自省(胸の磁性“十”)の“行”をするものである。

 それで、今回取り上げる文言は、“その二”~“その四”で取りあげた個の心(靈)の“状態の変化”と、それに伴う“観察と認識”しうる事象の変容とは違い、お前たち“地上人”は、“死後”における個の心(靈)の“状態の変化”と、個の心(靈)が“観察と認識”する事象の変容について理解しにくいだろうから、個の心(靈)とは何か、そして、“生前”“生後”“死後”の事象は相関しているものだ、ということを述べている。

 冒頭の文。
“死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。 生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。 生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。 霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。 故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである”

 これは、自分自身が自分を観る際に“地上人”は事実誤認をしているのだ、お前たちは
“生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となる”
そんなふうな認識しか持っていないから
“物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多い”
のであるが、そうではなく
“それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない”
のであり
“自分自身の本体”は個の心(靈)、“生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である”
と述べられ、その“錯覚する”理由は“生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずる”、これはその個の心(靈)が物質しか観ていない、外側(外国と幽界)の事象しか観ていない、それを○○○大先生流にいえば、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)でしか“観察と認識”していない、これは“生後”の“世界”に対しても、個の心(靈)である自分以外の“地上人”、そして自分自身に対しても、そういった観察しかしていないのだ、ということである。

 次の文。
“しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。 死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。 何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。 現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである”

 自分の外側(外国と幽界)の事象、これは“生前”であろうが“生後”、“死後”であろうが、内と外、自分の心(靈)と自分の心(靈)以外、という“観察と認識”はあるのであり、文中の
“死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。 何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。 現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである”
これは、“生前”であろうが“生後”、“死後”であろうが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、なのであり、“弥栄”するものであるがゆえに、相関があるのであるということ。 そしてそれぞれの位置する場(フィールド)において個の心(靈)が“弥栄”するからこそ、“その一”で取りあげた
“大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長している”
この“大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長している”ということを詳細に説明しているのが
“死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる”
これに続く
“物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている”
この“地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じ”、この“気”は息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、それゆえに、
“現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動している”
のであり、それぞれの場(フィールド)、“生前”“生後”“死後”における個の心(靈)の息吹、それ故に“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、そしてそれぞれの個の心(靈)は“弥栄”するのだ、と解する。
 そしてこの文言自体は、第十八帖に続くものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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