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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十八帖 Kellyさん的解釈 “その三”


  今回も、地震の巻 第十八帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。 何故ならば、霊と物とは対応しているからである。 生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。 従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。 陽人と、陰人とである。 陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。 太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。 この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。 故に、二は一となり、三を生み出すのである。 これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。 三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。 新しき生命とは新しき歓喜である。 歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。 霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。 この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。 春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。 また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。 故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。

 冒頭の文。
“その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。 何故ならば、霊と物とは対応しているからである。 生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている”

 文頭の“その奉仕”は、先回の“霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じている”そして“ひたすら奉仕があるのみ”これが“地上人であった時の職業と相通ずる”、お前たち“地上人”は、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であるから“ひたすら奉仕があるのみ”という進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)の行いと心(靈)の動きを理解しえないだろうが、進化すればするほど、神に近くなればなるほど、自我所以の“権利”“義務”などという概念は消え去り、先々回の“一つの大きな神の用”のため“奉仕”する個の心(靈)となるが、たった今、“地上世界”の“地上人”が自分の利益のために“職業”という生業(なりわい)を行うが、これはお前たち個の心(靈)が“地上人”の段階で行いつつ、少しづつ“上”に進化している過程であって、いずれその“職業”が“一つの大きな神の用”に繋がるものであるから“その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある”のであるし、“職業”、そしてそれを選択した個の心(靈)の動き、これも神の“思惑の顕現”であり、それは“地上世界”と“霊界”においての相違はあっても、神の思惑を担い“一つの大きな神の用”となっていくものであるからこそ“霊と物とは対応している”これは“霊界”と“地上世界”は“対応”していると読み替えた方が理解しやすいし、個の心(靈)の“状態の変化”により少しづつ相違はあるが“生前は生後であり、死後はまた生前”、輪廻転生を繰り返して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していき“一つの大きな神の用”を為していくのであると述べられている。 これに続く“春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄え”は、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性と、個の心(靈)が“観察と認識”する“地上人”においては時間の経過、“霊人”においては“状態の変化”を述べている表記である。 ちなみに文中の表記の“春秋”は言葉の意味として時間の経過の意、“日月”も年月を重ねる意ではあるが、“春”は自我における肝=“いきり立つ心(奴と心)”、“秋”は脾=“思う、憂う”を指している表記であり、これと“日月”も含めて“日月神示”表記の“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、と同義であると思える。

 次の文。
“従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。 陽人と、陰人とである。 陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。 太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである”

 冒頭の“霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる”は、先の日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の現われを示しており、それをまた“陽人と、陰人”と称され、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の説明として“”があるからこそ“陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。 太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜する”と述べられている。

 次の文。
“この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。 故に、二は一となり、三を生み出すのである。 これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。 三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。 新しき生命とは新しき歓喜である”

 冒頭の“この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している”も日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の顕現したそれを“観察と認識”した際の事柄が述べられ、なぜ神の極性の日足と砌(ひたりとみぎり)があるのかについてはこれに続く“故に、二は一となり、三を生み出す”、文中の“二”は日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の顕現した何かが“一となり”したならば“三”、“二”とは違う新しき何かを“生み出す”と称され、それは
“愛と信の結合、または結婚とも称えられている。 三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。 新しき生命とは新しき歓喜である”
これを“地上人”的に観ると、日足(ひたり)の極性の現われである男が砌(みぎり)の極性の女と結婚して新しい生命を生み出す、みたいなことは理解しやすいし、そこに“地上人”の段階の“愛と信”があるから新しい生命、子供は生まれるのであるが、これが、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”に当てはまり、さらにそれは“三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。 新しき生命とは新しき歓喜である”、これは第一帖の冒頭の文言を思い起こさせるものである。 以下にコピペしておく。

“われわれの一切は生れつつある。 神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。 一定不変の神もなければ、宇宙もない。 常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。 過去もなければ、現在もなく、未来もない。 只存在するものが生れに生れつつある。 生もなければ死もない。 善も思わず真も考えず美も思わない。 只自分自身のみの行為はない。 只生れゆき栄えゆくのみである”

 次の文。
“歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである”

 この文章は一読すれば理解できるが“地上人”向けの文章であり、お前たちは“物質”を観てもそれが神の“思惑の顕現”であることを知らないから“歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われる”と説明されている。

 これに続く次の文。
“霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。 秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。 この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。 春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。 また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。 故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである”

 冒頭の“春は、陽であり、日と輝き、且つ力する”これと“秋は、陰であり、月と光り、且つ力する”これは先の日足と砌(ひたりとみぎり)の極性=“春秋のうごき”を説明しているし、先の“二は一となり、三を生み出す”、これを“春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。 春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る”とも称されている。 その“神は呼吸し、生命する”、その現われがまた、神の極性の日足と砌(ひたりとみぎり)と言え、その現われである“善悪”は、霊的成長度の高低における視点の相違により違うものであるが、“同気同一線上”における“善悪”は、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の顕現であり、はっきり“善悪”と認識しうるものである。 
それゆえに、そこに“御用の悪”がある故に
“悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。 故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給う”
と称され、これも先の“二は一となり、三を生み出す”にかかる文言でもあり、その“生み出す”“歓喜”がまた、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”であり、そこにおいても、その中においても、と言い換えた方が理解しやすいかもしれないが、“故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである”と、括られているものである。

 またこれに関しては、第十五帖の以下の文言を読むと理解しやすいので、文中の“大平衡”の意味を念頭に置きながら読んでいただきたい。

“神は、左手にて 
左手 地震15  の動きをなし、右手にて 右手 地震15  の動きを為す。 そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。 地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。 この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。 その平衡が、神の御旨である。 平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。 左手は右手によりて生き動き、栄える。 左手なき右手はなく、右手なき左手はない。 善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。 神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。 新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。 始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである”

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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