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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十九帖 Kellyさん的解釈 “その一”

 今回から、地震の巻 第十九帖の解釈に入ることとする。 第十九帖の原文は以下の通り。

天国の政治は、歓喜の政治である。 故に、戒律はない。 戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。 天国の政治は、愛の政治である。 政治する政治ではない。 より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。 故に、与える政治として現われる。 天国は、限りなき団体によって形成されている。 そして、その政治は、各々の団体に於ける最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。 統治するものは一人であるが、二人であり、三人として現われる。 三人が元となり、その中心の一人は、 
ローレンツ力 によって現わされ、他の二人は、 ○ によって現わされる。 ○ は、左右上下 二つの動きの 渦巻き 左回転 を為すところの立体 渦巻き 左回転 からなっている。 統治者の心奥の ローレンツ力 は、更に高度にして、更に内奥に位する ローレンツ力 の中の ローレンツ力 によって統一され、統治され、立体 渦巻き 左回転 をなしている。 天国では、この ローレンツ力 を、スの神と敬称し、歓喜の根元をなしている。 スの神は、アの神と現われ給い、オとウとひらき給い、続いて、エとイと動き現われ給うのである。 これが総体の統治神である。 三神であり、二神である。 ア、オ、ウは愛であり、エ、イは真である。 これら天国の組織は、人体の組織と対応し、天国の一切の事象と運行とは、人体のそれに対応している。 オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。 エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸しているのである。 これらの統治者は権力を奪することなく、また指令することもない。 よりよく奉仕するのみである。 奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、これらの総てを神の力として生かし、更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。 また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、己はその中にとけ入る。 故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、団体の歓喜となるのである。 指令することは、戒律をつくることであり、戒律することが神の意志に反することを、これらの統治者は、よく知っている。 天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。 一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、前記の如き原則を体している。 またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。 天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。 歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである。 けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。 礼拝生活である。 総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。 与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。 故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。 しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。 地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。 無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。 森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。 天国の政治は、光の政治である。 天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より、光と、熱とを発しているが、天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。 一は月球の如き現われ方である。 一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。 愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。 月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。 またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。 光と熱とは、太陽そのものではない。 太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。 光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。 このことをよく理解するが故に、天国の政治は、常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。 天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。 太陽の内奥は大歓喜が存在する。 故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜の ローレンツ力 が感じられるのみである。 この歓喜の ローレンツ力 が、真、善、美、愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。 歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。

今回解釈するのは、
“天国の政治は、歓喜の政治である。 故に、戒律はない。 戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。 天国の政治は、愛の政治である。 政治する政治ではない。 より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。 故に、与える政治として現われる”
ここまでとする。

 今回取り上げる文言中の“政治”という言葉に、“地上人”が行っているそれをあてはめて考えてはならない。 
 そもそも“地上人”での認識の“政治”の意味合いは、主権者が、領土、人民を治めること、あるいは、まつりごと、または、社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用、あるいは、国を治める活動。権力を使って集団を動かしたり、権力を得たり、保ったりすることに関係すること、広辞苑では、人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力、政策、支配、自治にかかわる現象、とされており、大辞泉では、主権者が、領土、人民を治めること、また、ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用、とされているが、“天国”に主権者(国家の主権を有するもの)が存在すると思うのは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想であり、第十九帖では“統治者”の表記はあっても“主権者”の表記は無い。
 それはまた、第十八帖の
“霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということである。 即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。 為に、命令的なものはない。 只、ひたすら奉仕があるのみである”
もう一つ、前後するが
“歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。 故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩する”
こういった事柄、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の“地上人”には、今回取り上げている文言の“天国”は理解しにくい状況であり、またその場(フィールド)、“天国”あるいは“霊界”に位置する個の心(靈)は上記第十八帖の文言のように行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)し、その心(靈)の動きは“権利”あるいはそこから派生する利益や損得など思わないということを知り、これらを念頭において第十九帖を読み解かねばならない。

 冒頭の文。
“天国の政治は、歓喜の政治である。 故に、戒律はない。 戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない”

 先に述べたことが理解できているならこの文言は解釈の要はないと思うが、“地上人”より神に近くなった“霊界”さらに神に近くなった“天国”は、第十八帖の“ひたすら奉仕があるのみ”であり、これが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”であり、そのための“天国”における“政治”=“天国”という場(フィールド)を“地上人”の政治の意味合いを引用するなら(少々不適切だが)ば、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した個の心(靈)の集団、そこにおける秩序の形成、あるいはすべての存在の“弥栄”のための“統治”(第十九帖の表記の“統治者”のそれ)を行う、それが“歓喜の政治”であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”はいないから“故に、戒律はない。 戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界である”のであり、この文の“地獄的段階の低い陰の世界”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が“権利”や“主権”を主張して自分の損得のためにしか行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)しない場(フィールド)、たった今の“地上人”の“地上世界”であることを読み取るべきである。

 次の文。
“天国の政治は、愛の政治である。 政治する政治ではない。 より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。 故に、与える政治として現われる”

 冒頭の“愛の政治”というのは、自分の損得しか考えない“地上人”に向けて解り易く説かれた表現と言え、第十八帖の解釈でも述べた通り“霊界”そしてさらに進化した“天国”においては、自我所以の“権利”“義務”などという概念は消え去り“一つの大きな神の用”のため“奉仕”する個の心(靈)となるがゆえに、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”のための“奉仕”のみの心(靈)の動きとなっていくものである。
これは高い愛(炁)と“地上人”的に“観察と認識”されるし、またそれは“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”、これに追随、あるいは恭順、といえるが、その段階においては追随や恭順という概念も消失しているであろう。


“創造”の意味と意義 


 これに続く“政治する政治ではない”も、地上人が持っている“政治”に対する既成概念が低いので、そんなことではないの意であり、それは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、は、神であり、神は先の“思惑の顕現”=現象化を行っているから第一帖の
“われわれの一切は生れつつある。 神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。 一定不変の神もなければ、宇宙もない。 常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく”
ということのために、神をも含めたすべての個の心(靈)、すべての生命が存在するのだ、ということまで読み取るべきで、重複するが“霊界”以上の“政治”に相当することは“進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した個の心(靈)の集団、そこにおける秩序の形成、あるいはすべての存在の“弥栄”のための“統治”(第十九帖の表記の“統治者”のそれ)を行う、それが“歓喜の政治””、その意のことである。
 これに続く“より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。 故に、与える政治として現われる”これは“直接内流”、“上”との感応、それは神の思惑を受け取る、それを“内奥の、より浄化されたる愛(“創造”の“主(ヌシ)”の意)そのものからなされる”と称され、だからこそ“故に、与える政治として現われる”、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の奪い合いが現われた“地上人”の“政治”などではないのだ、の意である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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