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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地震の巻 第十九帖 Kellyさん的解釈 “その六”



 今回も、地震の巻 第十九帖の以下の文言(先回の続き)を解釈することとする。

天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。 歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである。 けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。 礼拝生活である。 総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。 与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。 故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。 しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。 地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。 無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。 森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。

 先回の文末の“信仰である”に関してだが、この“信仰”の表記は第十九帖において一度しか登場しない。 これは明らかに程度の低い“地上人”に理解しやすいように使われた表記である。 
そう思う根拠は、先回の“各家庭”、これは“その二”で取りあげた“天国は、限りなき団体によって形成されている”、この小さい“団体”が“各家庭”に該当するのだ、そしてそこには“統治者”である“主人”が、“直接内流”を受けてそれを顕現していくべきなのだ、というのが先回の解釈の要旨であるが、やはり程度の低い“地上人”に対して“天国の政治”を理解させるために、まず、“即ち”と前置きされて“即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である”という説明の仕方をしている。
それは、これからお前たち“地上人”が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していったならば、こうなるべきであるし、こうなるように自分たちの心(靈)の在り方を鑑みるべきなのだ、ということである。
それで先回の文言以降には、先に述べたように“信仰”の表記は無く、“礼拝”という表記を使われている。
この二つの言葉の意味合いをWikipediaから引用すれば

● 信仰(しんこう)とは、 神や仏などを信じること、また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。

● 礼拝(れいはい、らいはい)は、宗教において神や仏などを拝むこと。

であり、なぜ先回以降の文言には“礼拝”という表記が登場するか、そしてそれは“信仰”という言葉を艮(うしとら)の金神を名のる霊団は使わなかったのか、それは“礼拝”の「神や仏などを拝むこと」、これは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)を“礼拝”するのだ、これを解釈すれば、“直接内流”の顕現したなにかを“礼拝”するのだ、であり、それは“信仰”の“神や仏などを信じること”、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)を信じること、には、当たらないのだ、ということである。 解りにくい説明になってしまっているが、このことを踏まえて本文の解釈に入る。

 冒頭の文。
“天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。 歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである”

 これは先に述べた“直接内流”を顕現しようとする“統治者”を拝む、それそのものが“歓喜を礼拝すること”であり、それをすればするほど“直接内流”を受け入れる=“歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行く”、より神に近付く、“弥栄”であると述べられている。

 次の文。 これは程度の低い“地上人”向けの文章である。
“けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。 礼拝生活である”

 お前たち“地上人”は、自分が生きていることに対し、てんで認識が低いから先回の“ 即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である”という表記を使って理解させるよりなく、それは“天国”における“政治”の意味合いは全く“地上人”のそれとは違う個とを解釈したし、当然のことながら“天国”は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”がいないから奪い合いが無いので“経済”など無く、そこにはただ“状態の変化”のための“生活”があり、お前たちの霊的成長度では理解不能な“礼拝”があるから仕方なく“信仰がある”という言い回しをせざる負えなかったが、お前たちの低い認識の“礼拝”ではなく、ただそこには神の思惑があって様々な事象が顕現しているし、何を拝むのかに対しては、神の思惑、それは“直接内流”であるのだ、というのが、これに続く次の文である。

“総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである”

 この文言の“総て”は、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、が、神の“思惑の顕現”=現象化であるという認識を持ったうえでなければ理解できない表記であり、その“総て”は、“直接内流”の顕現したさま、であるということを知っていなければならず、当然のことながら“天国”においてはそれを知っている、認識(悟り、幸取=さとり)としているのが当たり前、それだからこそ“総てと拝み合い、且つ歓喜し合う”とは、“直接内流”が顕現した事象と、“直接内流”自体を“拝み合い”することである。
だが“地上人”は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が圧倒的多数なのでこういったことは理解しえない、理解できる資質が無いから次の文言では“仕事”という表記を使って理解させようとしている。

“与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。 故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。 しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している”

 文言中の“与えられたる仕事”は、個の心(靈)の霊的成長度と息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の種類に応じた“直接内流”の顕現であり、その顕現そのものは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の、“弥栄”のための“奉仕”であるが、こういう言い回しでは程度の低い“地上人”には理解しにくいので“仕事”という表記を使っており、さらに進化を果たした個の心(靈)は自分自身の役割、自分が受け取っている“直接内流”の顕現である“与えられたる仕事”そのものを“仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕”と言い表わされ、それ事態が“直接内流”に対する“礼拝”であるから“天国の礼拝の基本である”と称されているものである。
 これに続く“故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している”は、個の心(靈)の“内分”=霊的成長度と息吹の種類、によって、受け取る“直接内流”は違うから“立場によって、礼拝の形式、表現は相違”となるのだと説明され、これに続く“しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している”は、文中の“歓喜の仕事に仕えまつる”が“直接内流”の顕現由来のことなのだから、それを“礼拝であると云う点は一致”、“直接内流”、神の思惑、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹、これを拝むのだ、の意である。

 次の文。 
“地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。 無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。 森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ”

 冒頭の“地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方である”は、先回の“信仰である”に相当し、お前たちの上に対する認識は当然のことながら“直接内流”などその意味合いすら認識しえないだろうが、ここまで説明した通り“天国”の“礼拝”は、お前たちが薄っぺらい認識で思うようなことではないのだ、であると述べられ、その“直接内流”に対する“礼拝”は、“天国”における個の心(靈)の霊的成長度と息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の種類があるからこそ“天国に於ける礼拝は、千変万化”であり、その“礼拝”そのものが、“弥栄”となり“歓喜”となる、それは“状態の変化”が起きていく、からこそ、“礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するもの”と称され、その“無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずる”と述べられ、これはお前たちも含め一切の個の心(靈)がこうやって“観察と認識”しうることなのだ、である。
そして“森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ”、この“神の御用”をお前たち程度の低い“地上人”は、これから知っていかねばならないからこそ“無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ”と括られているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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〈3〉

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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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