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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、45年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”地震の巻の解釈を終えてから…感じた事。“その三”


 さて、先回は“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)と“創造”の“主(ヌシ)”以下の各々の生命の個の心(靈)の息吹が相互に影響しあい、事象は成り立っていることを述べた。
 そしてそれは先回取り上げたように“創造”の“主(ヌシ)”とそれ以下の一切の生命は、それぞれの心(靈)の中に“映像”されているものを観察して事象と認識しているし、さらに“創造”の“主(ヌシ)”自体も“創造”の“主(ヌシ)”以下の生命の心(靈)の中で事象を観ている。 

 それで言うまでもなくたった今の地球人、いわゆる“地上人”も、現実と、自分の心(靈)の動きを“観察と認識”している。
 そしてそれは第一帖の表記の
“過去”“現在”“未来”“生”“死”“善”“悪”“真”“偽”“美”“醜”“愛”“憎”
と“地上人”は“観察と認識”をするが、これら一切が“二義的”(根本的でない 主眼の意義でないの意)と称されている。
 これは“地上人”の心(靈)の“観察と認識”によることであり、もっと“上”からの立場からのものの言いようとしては
“宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。 その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。 只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである”
ということになり、よって“地上人”の“観察と認識”による事象における
“過去”“現在”“未来”“生”“死”“善”“悪”“真”“偽”“美”“醜”“愛”“憎”は、“二義的”なものであり、これらも“神の中に生み出され、神と共に生長”という“状態の変化”の“その用”であるのだ、と称されている。

 ならば、“地上人”にとって“用”とはなにか、“地上人”は、“その用”をどうとらえるべきなのか、また“無限段階”の一過程である“地上人”の“状態の変化”とは、ということを考えるべきである。

 それは第三帖の
“ 
渦巻き 左回転 は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。 親によって子が生れ、子が生れることによって親が新しく生れ出ずるのであることを知らねばならない。 されば、その用に於ては千変万化である。 千変万化なるが故に、一である。一なるが故に、永遠である。 愛は愛に属する総てを愛とし、善となさんとするが故に悪を生じ、憎を生じ、真は真に属する総てを真とし美となさんとする故に偽を生じ、醜を生ずるのである。 悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ、美は美として生命するのである。 悪は悪として悪を思い、御用の悪をなし、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす。 共に神の御旨の中に真実として生きるのである”

文中の“一である。一なるが故に、永遠である”は“創造”の“主(ヌシ)”(“一”は“創造”の“主(ヌシ)”を示した表記)の“創造”を示す文言であり、それ故に“一なるが故に、永遠”であるし、それは“
渦巻き 左回転   は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく”
この“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転“
渦巻き 左回転  ”、これを“絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく”、これこそが“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、自体の、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、“弥栄”と捉えるべきである。
 そしてこの後に“愛”、“善”と“悪”、 “憎”、“真と美”、“偽”、“醜”、これ等は相対的なものなのだと述べられているその内容の文言をしっかり理解したうえで“御用”ということを認識し、そしてそれは“神の御旨の中に真実として生きる”、これら相対的な、“二義的”な事を“創造”の“主(ヌシ)”と“創造”の“主(ヌシ)”以下の一切の生命が認識し、“創造”の“主(ヌシ)”以下の生命はそれを観て自分はどう心を動かして息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)するか、ということをするならば、これ自体、“創造”の“主(ヌシ)”はその個の心(靈)を“観察と認識”(天の御目(あめのおめ))している、そしてこういったこと事態が“創造”の“主(ヌシ)”を含めた“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、においての“真実として生きる”ということを“地上人”は知らねばならない。
 また“その用”“御用”は、第三帖の以下の文言
“個の弥栄は、全体の弥栄である。 個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。 個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。 霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。 其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである”
この文言、個の心(靈)である“地上人”にとっては、その“御用の悪”を味わうこと事態が“善”となるし、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、の“弥栄”となり、さらにそれはまた“神律”とまで称され、この言葉自体が“弥栄”“歓喜”のための“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)と“地上人”は捉えるべきである。

 これと同様の意味合いで、第四帖の
“悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない”
この“御用の悪”を“御用”と認識して自分の在り方を自分に問う、それがまた“神律”であるし、“神律”を理解していく事となる、これが“地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない”、自分が先の“二義的”な事を事象に“観察と認識”したならば、自分はどう心(靈)を動かし息吹くかを智性(神性)で考えよ、である。

 ここまで述べた事柄、これに近い意味合いの表記は地震の巻の随所にあるが、わかりやすいものをピックアップすれば、第九帖の
“悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。 善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。 悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。 力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する”
そして
“善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。 善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。 故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。 何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。 悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。 この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。 悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。 この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる”
と“二義的”な事について述べられているが、“地上人”として大事なのは同じく第九帖で述べられている“霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。 これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の 
渦巻き 左回転 (うごき)をなす”
この“復霊、復力、復体の 
渦巻き 左回転 (うごき)”、これが“根元からの存在であり用である”のだし“動き弥栄する道程に於て”、これをなすのが“霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する”のであり、これに関しては以下のように解釈をした。
“復霊、復力、復体”、この“復”の意味合いは、もとの状態にもどる、もどす、かえす、復活、復帰、復旧、復元、回復、あるいは、同じことを繰り返す、復習、復唱、反復、などの意であり、何に“復”するのかは、“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性、と解し、“動き弥栄する道程”というのは、今回取り上げている文言中には無いが先の“善”と“悪”であり、この“二義的”な事柄を個の心(靈)が認識して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を見出し実践することを“復霊、復力、復体の 
渦巻き 左回転 (うごき)をなす”と称されており、この“ 渦巻き 左回転 (うごき)をなす”(日足(ひたり)回転は“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転)こと事態が先の“真実が生れ、生命する”であり“根元からの存在であり用である”と定義づけられている。 生命(生きる使命=存在理由)とはそういったものであることを知れ、という意味合いである。

 この“復霊、復力、復体の
渦巻き 左回転   (うごき)”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転である日足(ひたり)回転、ということを“地上人”はよく認識して、自分の心(靈)を自分で観察していくこと事態、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくことが、“地上人の光栄ある大使命”である。
 そのために“創造”の“主(ヌシ)”を含めた一切の生命は、
“過去”“現在”“未来”“生”“死”“善”“悪”“真”“偽”“美”“醜”“愛”“憎”
を観ているのだ、これが事象の“観察と認識”の大きな意味合いであることを述べておく。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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