“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第一帖 Kellyさん的解釈


今回から、下つ巻の解釈に入りまんねん。
まず、下つ巻 第一帖の原文は、以下の通りでんねん。


富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。
皆の者 御苦労ぞ。
蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、
人の登らぬ様にして、
竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、
神急けるぞ、
山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。
天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、
臣民いよいよ分らなくなるから、
早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。
つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、
道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、
神の国の中に神がみちみつることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。


冒頭の“富士は晴れたり日本晴れ。”に付いては、
上つ巻 第三十三帖 Kellyさん的解釈を読んで欲しいし、
又、上つ巻 第六帖にも、
“富士とは神の山のことぞ。
神の山はみな富士(二二)といふのぞ。”・・・って表現されてる。

そやから“富士”・・・そのKellyさん的解釈を一部言うとけば、

“富士”の“富”は、宀(うかんむり、頭の意味)と、
畐は、幅=増幅、何を増幅するのかはもう言うまでも無い。
自分の思惑と“上”の思惑が一体になって増幅する。
そやからそれは例えば、福=示す偏(へん) + 畐は、
示す偏(へん)そのものが神を示す意味があり、
そやから福って言う字を観たなら、
ほんまの“福”って言うのんは物でも金でも無いって言う、
当たり前の事でんねん。
“上”の思惑を増幅して発振、発信して行動に移す。
それは、又、
“一”=智性=1番目のオーラの事でも有りまんねん。
そしてそれは、余談やけど、
円形粒子加速器(サイクロトロンやシンクロトロン)の仕組みで、
キリストや天使の絵に描かれてる輪のような光輪になる時もある。
その事を先生は前のブログで書くのを忘れたから、今、言うときまんねん。

話を戻し、

“士”は、1番目のオーラと2番目のオーラに(たて棒、コン)、
“晴れたり”の“晴れ”の偏(へん)は、
日=太陽、
ほんでから、旁(つくり)の“青”って言う字を構成するのは、
何回も言うた事やけど、
この“青”の上半分は、生きると言う字から、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した字、
ほんでからそれは、“乙”と同じやし、
それは又、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と同じ。

“乙”に付いて前に先生とこんな話をしたけど、コピペしときまんねん。

“「乙・・・向かって左から右に筆を動かして、
ほんでからに右から左下に動いて、
ほんでからに又、左から右に動いて、
最後は上にはねるやん。
何や知らん・・・意味深な筆の動きでんな。
「そう・・・もうKellyにはアタシの解釈自体の見当が付いていると思うが、
左→右、そして右から左下、そして左から右・・・そしてはねる。
これは左往右往して現象化して左往右往するカタチだ。
はねるのは“上”に向かうって事だ。」
「それは、右往左往して“天の御目”を自分の心(靈)の中に持つ。
そんな感じでんな。」
「そう・・・それは乚部(いんぶ)って言うのは、
人の思惑の顕現って事だ。
それは良いカタチの創造って事を示していると思うんだ。」”・・・
(“上”の思惑の顕現 “天の御目” 参照)

そやから、“乙”って言うのんは、
人(日止、霊止)が思惑を持ち、どういうつもりで“創造”をして行くのかを、
表してる。
それは“乙”の上の部分が“一”の様に、
向かって左から右に筆を移行し、
それは、左往右往して現象化して、
そしてその“思惑の顕現”=現象化は、
右往した右端から左に下降し、
下降したって事が“下”=この世界に“上”の思惑が降りたって事で、
それから又、“下”の横棒は、左往右往して、
そして“下”の横棒の端の右は、
砌(みぎり)=この世界から“上”にはねる。
それは“天の御目”の獲得で、
それ自体がこの世界の“創造”の基準とか、
“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)の思惑を示してる。

・・・なんやしらん複雑な言い回しになってしもたけど、

要は、
“乙”は霊的に成長した人の思惑の顕現、
それが人(日止、霊止)の乚部(いんぶ)で、
そやからこそ人は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、
神さんと人(日止、霊止)の思惑両方が相俟っていないと、
良いカタチの現津(あきつ)=観察され得る事象にはならへんって事でんねん。
そやから簡単に言えば、
動物に近い心(靈)しかもって無い人は、その心(靈)の動きって言うのんは、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性と認識される、
心(靈)の動きの、自我以下の心(靈)の動きで、
そやからそれは欲望中心、西遊記の八戒でもあり、
ほんでからその程度の心(靈)の発現は、
縄張りを示す心(靈)の動きとかディスプレイ(動物の発情行動)とかになる。
それは今後の世界=アセンションと認識される事象を通り越した後の場(フィールド)に、
移行出来る心(靈)では決してない。
その事を示してるのが又、
人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)って言う字やと思えるな。

そして“青”の下の部分は、これは月では無く丹で、
“丹”は、帯電するミネラルの意味って言うのも前に言うた事でんねん。
腹の水の中の錯体としてのミネラルでんねん。

そやから“富士”=“上”の思惑を受信して、
宀(うかんむり)=頭で、
増幅=畐・・・それは自分の思想にして、 そして行動に移す。
ほんでからさっきも言うたけど“富士”の“士”。
これは三つのオーラ“三”の、 “上”から二本の横棒を指し、
それは荷電粒子の回転をも示してるんやけど、
それが“上”に突き出てるし、
書き方としてその(たて棒、コン)は、
“上”から“下”に降ろす。
そやから“士”は、 “上”の思惑が人(日止、霊止)のオーラより“上”に在り、
それを“下”に降ろすことが又、“士”の意味するところでもあると思えるやんか。

日本晴れ”・・・は、 これも前に言うたからコピペしときまんねん。
     ↓

“日”=創造主の振動の場(フィールド)=太陽。
“日本晴れ”の“本”って言うのんは、
漢和辞典をみると、
木の太い根のところにつけた“一”は、
それは印って言う意味があって、
その場所を示していて、木の根もとの部分とか“もと”とか・・・の意味を持つ。
ほんでからに物事の根源とか中心になるものとかの意味もあるやん。
そやから本題とか本当とか本質とか・・・
そう言う表現に使われる字でもある。
それは、Kellyさん的に思うんは、
自省(胸の磁性“十”)に儿部(じんぶ、にんにょう)+“下”の右往左往。
それが“本”って言う字でもある。
そやからそれはちょっと解り難いけど、
自省、“直日(なおひ)”・・・胸の磁性“十”に、 
“下”の右往左往でもある“一”・・・これは位置から言って、
“三”の一番下の“一”。
ほんでからにそれを全部足して、日本晴れ。
これは文章どおり“二二(ふじ)”に掛かる言葉で、
人(日止、霊止)のあるべき肉体・・・神に近づくべく肉体の事を、
言うてると思いまんねん。
(“日月神示” 上つ巻 第一帖  Kellyさん的解釈)

そやからこれからも“日月神示”で何回も出てくる言葉、

“富士は晴れたり日本晴れ”は、
相対的に自分より“上”の思惑、
そして自分自身が霊的成長して神に近づいたとしたら、
受信する思惑は神の思惑と同じようになって行く。
そやからこの言葉自体が“上”の思惑と人(日止、霊止)の思惑の、
一体になった事を示す言葉でんねん。

ほんでから次の言葉、
“青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。”

この文の“青垣”の“青”はさっきも言うた通り、
“富士は晴れたり日本晴れ”の“晴れ”の“日”を外した“青”で、
そやから青の上半分は霊的成長を果たした、あるいは心(靈)が“上”に向かっている人(日止、霊止)の思惑の顕現=乚部(いんぶ)でもある。
ほんでからさっきも言うたけど“青”の下半分は、
帯電するミネラル=丹って言う事やねん。
そやから“青垣”は、
現状の人より“上”の思惑を受信して自分の思惑にして行く人、
その心(靈)の動きで場(フィールド)=“垣”を構築して行く。
それが、“垣”って事やと思いまんねん。
そやからそれはアセンション後の世界でも有りまんねん。
何度も言うけど、アセンション後の世界と認識される場(フィールド)は、
“上”の思惑と、人(日止、霊止)の思惑が、
一体になって構成されるべき場(フィールド)でも有りまんねん。
ほんでからそれは“山めぐれる”・・・この言葉に掛かるのは当然で、
“山”は、脳の意味を持ち、
それは、人(日止、霊止)の思想でもある。
そやから“めぐれる”は、山=“上”と“下”のその思想で、
場(フィールド)を構成するとか“上”と“下”が循環するとか、
回転するとかって事で、
“下つ岩根”は、
“上”から“下”に降りた振動=“上”の思惑が、
“根”・・・根元とか根拠とかの“根”やろし、
ほんでから順序が逆になったけど、
“岩根”の“岩”は、山 + 石、
それは、山=自分の思想=脳・・・そして“石”は、
帯電するミネラルが結晶化していない段階の事を指す。
それは先生が前のブログで言うた事で、
そやからそれは、生体内電流の発生で言えば、
腹の水、“日月神示”の言葉なら“江戸”の“江”で、
それは錯体としての電荷でも有り、
そしてその段階の心(靈)の発現は、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動からして、
自我以下の心(靈)の動き。
それは腹の段階の右往左往と左往右往、サイクロトロン。
その荷電粒子の発振、発信が3番目のオーラに相当するんやろな。
ほんでからその心(靈)の動きだけで行動するのが“石屋の仕組み”・・・
自己奉仕者の世界になり場(フィールド)の低振動化になり、
それが今の世界でんねん。
ほんでからそれは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
人(日止、霊止)の霊的成長を阻む存在の意図した事でんねん。

そやからこの言葉、
“青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。”は、
上の振動を取り込んだ人の脳、思想、
それが“青垣山めぐれる”って表現され、
“下つ岩根に祀り呉れた、”は、
さっきも言うた通り、“山”=脳と“石”=腹の帯電するミネラルで、
それで人の思惑って言うのは決定される。
腹の段階の心(靈)の発現でもある砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)と、
日足(ひたり)の思い・・・“思う、憂う”(脾)が無いと、
(事象の)“創造”って言う事が出来ないって事を示す言葉でもあると思えるな。


ほんでから次の言葉、
“鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。”

大体、“鳥居”っちゅうのんは、
俗なる人=“下”の段階と、相対的に“上”=神社とか神域を示す一種の門とか、
“上”と“下”の境界って事でんねん。

そやけどこの場合の“鳥居”って言うのんは、
腹の水=“石”=自我以下の心(靈)の動き・・・情動中心、目下(めした)の心(靈)、
それと、
思想=“山”、大脳新皮質、目上(めうえ)の心(靈)の、
境界やと思う。
それは“日月神示”内の表現“江戸と尾張”の“戸”に相当するし、
それは又“天の岩屋戸”の“戸”にも相当すると思える。
“戸”に付いては前のブログ、
“エピローグ 神の思惑と顕現・・・神聖な事象”を読んで欲しいし、
このブログでも、
“上つ巻 第二十帖 Kellyさん的解釈”で、
“理(みち)”を解釈した時に言うたから、そこを読んで欲しいねん。

ほんでから次の言葉、

“蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、
人の登らぬ様にして、
竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。”

これは、“蛇(じゃ)が岳”・・・岳は山=脳と丘=盛り上がった様子で、
“蛇(じゃ)”“竜神”は、クンダリーニの上昇の事を言うてるとしか思えへん。
ヨガの言葉=クンダリーニと、仏教の言葉、軍荼利明王と摩多羅神と、
只、言葉が違うだけで、
人(日止、霊止)が持ってる“下”のエネルギーは、
蛇のようにとぐろを巻き“上”に向かう事が霊的成長でもあり、
今の地球人の進化過程としては、
自我中心の心(靈)から“慈悲”と“慈愛”に、
心(靈)の動きが変容する事でもある。
ほんでからそのエネルギーの上昇する様は、
左=日足(ひたり)回転の螺旋でもあり、
腹から“上”に向かう様が乳海攪拌でもあり、それはアムリタでもある。
(乳海攪拌は前のブログ、
思惑と顕現 “その八” 摩多羅神 (またらしん)を読んで欲しいねん。)
要は、腹の水の荷電粒子のエネルギーが上昇していく。
そやからこの文章は、大脳新皮質=目上(めうえ)の事としか思えへん。

そやからこの文章にKellyさん的注釈を加えれば、

“蛇(じゃ)が岳は”・・・今言うた事で、
“昔から神が隠してをりた大切の山ざから、”・・・“昔から”は、
それは神さんが創造の開始から決めていた(絶対の)霊的進化の法則性で、
現状の人に解らへんからこそ、
“隠してをりた”って事で、
ほんでから現状の(霊的)進化過程の心(靈)の発現の人が登れないから、
“人の登らぬ様にして、”って事で、
その腹のエネルギーの上昇が霊的覚醒になり、
霊的成長でもあり、
“一”=智性=1番目のオーラの拡大になり、
智性(日を知った上で獲得した性質)の獲得=“天の御目”の獲得になる。
そやから、蛇(じゃ)・・・多分これは、古皮質の脳しか持ってない蛇、

生物として最初の心(靈)の発現の本能って言う意味もあると思えるし、
それはヨガのクンダリーニの解説では、
クンダリーニは尾骨に眠るとされているし、
ほんでからそれは“江戸と尾張”の、
尾を張る・・・この張るって表現は、
上つ巻 第五帖の言葉を引用すれば、

“見晴らし台とは身を張らすとこぞ、
身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。”

・・・って事やと、確信を持って言うときまんねん。

ほんでから又、同じ言葉があって、
“富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、
神急けるぞ、”

この文の中の“次の御用”は、
上つ巻と違う段階の事を言いまっせ~って事で、
“神急けるぞ、”は、敢えて言うまでもなく、
もう時間は無いぞ!って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。”

“山晴れ”=脳の事。
“地(くに)晴れ、”=帯電するミネラルの結晶化して無い状態、
そやからそれは“石”と同義。
“海晴れて、”=腹の水、“江戸と尾張”の“江”。
それが“晴れて”は、
“富士は晴れたり日本晴れ。”の“晴れ”と同義でんねん。
“上”の思惑を顕現した人の心(靈)って言うのがエエかもしれへんな。

そやからそれは、
人が天=霊的に“上”と、思惑を同一にして行くようになる。
ほんでから天は、
“一”=智性=1番目のオーラ+“大”で、
“大”は胸の磁性“十” + 人(丿部(へつぶ)神の思惑の顕現と乚部(いんぶ)人の思惑の顕現)でんねん。

そやから次の言葉、

“天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、
臣民いよいよ分らなくなるから、
早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。”

この文の“天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、”は、
霊的に成長した“上”の思惑を受信する人(日止、霊止)の思惑は、
一般の人=自己奉仕者の心(靈)の動きの人に理解出来へん事になる。
そやから“上”の思惑を受信して、
“早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。”・・・で、
特にこの言い回し、
“なりて居りて下されよ。”・・・“上”の思惑を受信出来る肉体と心(靈)、
それは“身魂磨き”って事で、
それまでに、
(アセンションと認識され得る事象を迎えるに当たって)そうなっておけ!
・・・って事でんねん。

今後“日月神示”ではその事を伝えたい・・・
そやから、次の言葉もその事を言うてる。

“つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。”
・・・って事でんねん。

ほんでから次の言葉、
“この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、
道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。”

言うまでもなく、霊的成長は個人的な作業でしかない。
そやから、個人的な作業っていう点でも次の言葉、

“道とは臣民に神が満ちることぞ、
神の国の中に神がみちみつることぞ。”

“神が満ちる”
天意を受信し、身魂磨き“下”肉体と心(靈)で“上”の思惑と感応共振し、
“上”の思惑と自分の思惑で“創造”を果たす。
それが神の“思惑の顕現”=現象化でもある。
神聖な事象の“創造”でもある。
“創造”は、神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉でもある。
天意を受信しそれを自分の思惑にするには、
“上”の思惑を、眉間=八咫鏡(やたのかがみ)で受信し、
腹の水に貯める=コンデンサーの仕組みでんねん。
頭と腹はそれ自体がコンデンサーの仕組みを持ってまんねん。
それを示す字が、“呂”でもあり、
神って言う字は、
“呂”を示すって言う字でんねん。
これは前のブログで言うた事でんねん。

ほんでから自己奉仕者に対し、
更に“日月神示”で金儲けする人が出てくるから、
それは低い心(靈)の発現由来の行動だからこそ、
次の言葉、

“金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。”

“日月神示”を利用して、例えば“日月神示”の解釈本を売ったり、
“日月神示”って言葉を使ってコミュニティを作り、
アフィリエイトで金儲けしてる人とかに言うておきたい事でも有るな。

そやから・・・自分が持ってる金は自分がエネルギーを贖った結果でもあるけれど、
それを自分がどう使っていくのか?
テレビに出てる低い霊能力者の事はこの間言うたけど、
大概の人は自己奉仕者やから飢餓貧困の救済になんか使わへん。
恨みの連鎖の霊的干渉って事を誰も思わへん・・・
自称、霊能力者でも思わへんやんけ。
そんな心(靈)の動きでは、地球は良い方向に向わへん。
解りきった事やけど・・・そうする人があまりにも少ないからこそ、
敢えて言うときまんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。 


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
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そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
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霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
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よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
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