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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”地震の巻の解釈を終えてから…感じた事。“その二十一”



 今回は第十一帖から“神律”を感じさせる文言を取り上げて解釈する。

 度々述べていることではあるが、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、自分も他者も、あるいは“創造”の“主(ヌシ)”も“創造”の“主(ヌシ)”以下の一切の生命も、個の心(靈)であり、その心(靈)は振動で構成されている。
 そして“創造”の“主(ヌシ)”も“創造”の“主(ヌシ)”以下の一切の生命も事象の“観察と認識”を行っているが、それも振動の受信により“映像”され得るものである。
 また“創造”の“主(ヌシ)”と“創造”の“主(ヌシ)”以下の一切の生命が行いつつある事象の“創造”は、それぞれが個の心(靈)であり常に息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)しているからである。
 そして息吹く振動は、思惑そのものである。 これに関しては、“地上人”が電磁波を使って情報のやり取りをするようになったこと、これ事態が今述べたことの証明になり得ることでもある。
 また振動そのものに“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)という法則性があるので、地震の巻では“同気”“同類”“同気同一線上”ということが説明されているものでもある。

 これらの事柄を踏まえて第十一帖を読むと理解しやすい。 
 まず、振動が思惑であるという文章が以下の文。
“霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。 同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。 霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。 しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。 それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。 またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。 即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する”

 上記文中の“言葉”、これが“霊人”においての思惑のやり取り、息吹、これを受け取った際に“言葉”となる、の意である。

 これに続く次の文。
“霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。 故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。 しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである”

 お前たち“地上人”の“言葉”のやり取りは、“霊人”のそれとは違う、問題はその“言葉”の内容、どれくらいの思惑を含んだ息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であるのか、これについて述べられている文言ではある。 それゆえ、“霊人”対“地上人”の思惑のやり取りは“霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない”のであるし、これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でもある。
 少々蛇足だが、大体“地上人”の“言葉”は、“真”ではないケースも多いが、この文言ではそれについて触れられていない。 それは“地上人”の“言葉”が稚拙であり個の心(靈)としての“地上人”の“言葉”に対する認識も低すぎるので、そこには“真”“偽”を見出すこととも出来得ないケースが多々あるからであるし、“地上人”の認識が稚拙ゆえに“真”“偽”も見出しにくいという事情がある。
話を戻し、今述べた“地上人”の“言葉”などより、文中にもあるように霊的成長度の高い“霊人”の息吹は、“内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくる”と称されているものである。

 次の文は、振動は“言葉”として認識され得るのであり、それは息吹であり、思惑であり、思惑は一切の個の心(靈)が“観察と認識”している事象に顕現する、の意を述べている。
“原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。 言葉そのものが弥栄であり、生命である。 また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう”

 文中の“原因と結果”は“思惑の顕現”である。 
そしてその結果を“観察と認識”した個の心(靈)の息吹は、さらなる事象の“創造”になり得る
=“更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現”と称されている。
また“言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。 言葉そのものが弥栄であり、生命である。 また総てである”とは、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、は、振動で構成され、個の心(靈)の息吹により“状態の変化”をする、それは“生命”であり、その“行為”が“弥栄”である。 
弥栄(いやさか)については幾度となく使った画像を以下に貼っておく。

彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字 
弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字 

 この画像を観て“地上人”の肉体の構造、神経、背骨、脳幹、大脳で構成され得る磁束でチャクラ(荷電粒子の回転を示す)が成り立つことを理解していただきたいものである。

そしてこうも述べられている。
“それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。 また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。 だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない”

 これに関しては
第十一帖解釈“その四”より以下にコピペしておく。

“それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。 また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である”
個の心(靈)は輪廻転生を繰り返し進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていくならば、というのを“生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である”と称され、その輪廻転生=“生前”“地上人”“死後”において“霊人”であったり“地上人”であったりするが、それぞれの立場、と、その霊的成長度の段階、と、その場(フィールド)に位置していた時の“原因”と“結果”=“思惑の顕現”、これを自分自身が“観察と認識”する、その情報はすべて個の心(靈)に内包されており、さらにそれは息吹いているものである。
 そしてそれは進化程度が低いと、それぞれの場(フィールド)に位置して、新たな体験をして様々な教訓を得る必要性があるから、過去のことは忘れるような仕組みになっている。 だが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)が進めば必ずこれまで輪廻転生、体験してきたこと、すべて思い出す過程に至るし、そこまで至ると心(靈)の中の認識としての時間の進行と物理的な距離は一切関係なくなるので、“また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって”と称されている。

 次の文。
“だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない”

 文中の“内的な生命をもっている”とは、自分たちが輪廻転生を幾度となく繰り返している個の心(靈)であり、そこにおいてお前たちはまだ未熟だが、お前たちなりの輪廻転生における“思惑の顕現”をしてきている。 
 そして輪廻転生していきながら育っていくのは智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)であるし、たった今の“地上人”でもわずかながら“一”=智性=1番目のオーラを持っているし1番目のオーラを発現して心(靈)の動きとしての智性(神性)をもっているからこそ、“それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない”と称され、“それを知り得る”は、自分自身、自分という個の心(靈)が、“言葉そのものが弥栄であり、生命である。 また総てであるということ”を理解し、先の場(フィールド)や時間の進行において、たった今の段階では自分の心(靈)の中の情報をすべて思い出すに至る資格や資質は無いのだが、“一”=智性=1番目のオーラを大きくし神格化していくならば、“それを知り得る”ものであると解する。


 これに続く以下の文言に関しては、“霊人”の“言葉”について述べられている。 特に書き加えることが無いが、この文言で大事なのは
“霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもある”
これと
“言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全(如何に神に近いか)、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは(霊的成長度の低い息吹は、その“言葉”は)、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである”
この意味合いを以下のリンク先を読んでいただき理解を深めていただきたい。
解釈“その五”
解釈“その六”
“霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。 歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。 故に、柔らかくして連続的であり、太陽の 
ローレンツ力と ○ (ひかり)と ●(熱)とに譬えることができる。 また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。 故に、清く流れ出でて連続的ではなく、或る種の固さを感じさせる。 そしてそれは月の光と、水の如き清さとを感じさせる。 また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。 また前者は愛に住するが故に、主としてOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。 そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力をもっている。 しかし、これらOU、EI及びAの母音は想念の ローレンツ力 をなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては、感得し得ないことを知らねばならないのである。 霊界に於ける音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽はO及びUを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽はI及びEの音が多く、直線的である。 それは、言葉そのものが かかる内質をもっており、各々が霊界に於ける生命の歓喜の表現なるが為である。 またこれら霊人の言葉は、天的の韻律をもっている。 即ち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。 言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである”

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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