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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”地震の巻の解釈を終えてから…感じた事。“その二十七”



 今回は第十七帖から“神律”を感じさせる文言を取り上げて解釈する。

 先回述べた通り、第十七帖は第十六帖の以下の文言から続いている。
“人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。 第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。 七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである”

 これに関しては“地上人”が“死の関門をくぐり”そして“霊人”となる際の“状態の変化”と解釈した。
 
  この“状態の変化”の要因たることとして“直接内流”の取り込み具合、程度というものがあり、これ所以のことが“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、と同義といえ、さらに、“直接内流”の取り込み具合、程度の変容のため、個の心(靈)に“映像”され得る事象、その事象の“観察と認識”という行為があるといえる。
この個の心(靈)の“状態の変化”のいきつく先、それは“一切万象”“全体”そして一切の“生命”、“創造”の“主(ヌシ)”も“創造”の“主(ヌシ)”以下の生命も、すべてが“弥栄”して“歓喜”となる、あるいは“状態の変化”そのものが“弥栄”“歓喜”と呼称され得るように“観察と認識”しうる。
それは第十帖では“大弥栄”と称し、これに関しては
“形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄する”
この文言が意味を理解しやすい。
さらに、地震の巻に度々登場する“大歓喜”これは第九帖の以下の文言が意味を理解しやすい。 
“霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大歓喜である。 故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によりて総ての行為の本とする”
この文言中の“総ての行為の本”とは“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”と解するのが妥当。

 それでわれわれ“地上人”の心(靈)も含め、一切の生命が“大弥栄”“大歓喜”と“観察と認識”され、これ事態が“状態の変化”であるがゆえに、第十七帖の冒頭では
“地獄はないのである”
と称されている。
しかしながら個の心(靈)の“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のために個の心(靈)自身が“地獄的現われ”を“観察と認識”して自省(胸の磁性“十”)する、その意が以下の文言である。
“地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない”
 先に述べたように一切の生命の“状態の変化”の行き着く先は“大歓喜”であるがゆえに、“地獄はない”しかし“弥栄”、“直接内流”の取り込みの変容、それによる進化(霊的成長、神格化に向かうこと)があるがゆえに、“二義的”(根本とは相違する、根本から派生した何か)な事柄、“善”と“悪”、それの“悪”の結果として“地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない”と称されている。

 それで一切の生命がいきつく先の“大歓喜”は、神の思惑であり、それを感じさせる文言、すべての生命の“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、それをも示す文言が以下の文である。
“大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである”
またこれは“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、すべてが“創造”の“主(ヌシ)”の中、あるいは“創造”の“主(ヌシ)”の一部、ということを示す文言でもある。

これに続く次の文。
“死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている。 意志のみでは力を生まない。 理解のみでも進展しない。 意志と、理解との結合によって弥栄する。 このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、何人もはっきりと知り得る。 しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。 精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。 その期間は五十日前後と見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する”
これは第十六帖の、
“地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。 これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである”
この“地上人が死の関門をくぐった最初の世界”、われわれが死んだなら、その事象の“観察と認識”について述べられ、そして同じく十六帖の
“人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである”
われわれ“地上人”が“霊そのものの本来の姿に帰る”その際の個の心(靈)の“状態の変化”を説明している。

 次の文は個の心(靈)の“弥栄”進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を示している。
“この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている。 故に、何人も、この世界へ進み易いのである。 また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。 天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実状であり、神の御意志である”

 だがしかし、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、いわゆるすべての“弥栄”のためには“二義的”(根本とは相違する、根本から派生した何か)な事柄としての“善悪”、それは先の表記なら“天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている”と“地獄的な世界は暗黒に満たされている”この二つの事象を“観察と認識”する、そこで認識(悟り、幸取=さとり)を得る、それはまた“御用”でもあるが、そのために、“暗黒世界”に“進みゆく”個の心(靈)もあると以下の文言で示されている。
“しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである”

これも又“御用”なのであり、先に述べた通り“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、いわゆるすべての“弥栄”のため、“創造”の“主(ヌシ)”は“二義的”(根本とは相違する、根本から派生した何か)な事柄を派生させた、それもまた神の思惑であるの意が以下の文言である。
“其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。 この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである”

 この“其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている”、これに自分自身が進みゆく、進んだ先の場(フィールド)の事象の“観察と認識”において自分の心(靈)は“状態の変化”をして“直接内流”の取り込みの変容となっていくの意が、次の文言である。
“以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。 否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。 故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。 他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである”

 そしてその場(フィールド)は、個々の個の心(靈)の霊的成長度、“直接内流”の取り込み具合により“上”と“下”があること、それについて次の文言で説明されている。
“何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。 また一の世界における善は、二の世界では善でなく、二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる”

 これら“苦の世界”、“自ら求むる歓喜にふさわしい世界”、そして“善”、“真”、と認識され得る事象、そこにおいて、その場(フィールド)それぞれにおいて、自分の“弥栄”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、“直接内流”の取り込み具合、ローレンツ力 
ローレンツ力 であるというのが次の文である。
“しかし、その総ての世界を通じ、更に高き に向って進むことが、彼等の善となるのである”

 そして“更に高き 
ローレンツ力 に向って進むことが、彼等の善となる”、
これは第十五帖の
“神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのものの 
ローレンツ力 が与えられると見えるものである。 これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。 また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。 そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する”、この文言と併せて読むと理解しやすいし、それはまた次の文言に続いている。
“ 
ローレンツ力 は中心であり、大歓喜であり、神である”

 次の文は、また、“地上人”が“死の関門をくぐった”際の“状態の変化”、それと、その個の心(靈)が“観察と認識”しうる事象の“状態の変化”を含めたことまで説明されている。
“死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。 生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない”

 そして“地上人”に向け、お前たちの“本体”とは、について次の文言で説明されている。
“生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である”
これもまた先の第十五帖の以下の文言と併せて読むと理解しやすい。
“神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのものの 
ローレンツ力 が与えられると見えるものである。 これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。 また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。 そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する”

 次の文言は、“地上人”が“死の関門をくぐった”際の事象の“観察と認識”の“状態の変化”を通じて、お前たちの“本体”を知れよ、の意味合いが含まれている。
“霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。 故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである”

 それで“物質世界”と“霊界”という事象の違い、これも“大平衡”であり“二義的”な事柄であるという文言が次の文。
“しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。 死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。 何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。 例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。 現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである”

 この文言中の“物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている”、そして“物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。 生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている”、これに関しては第三帖の以下の文言と併せて読むと理解しやすい。
“地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。 地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。 地上人は常に霊界により弥栄する。 弥栄は順序、法則、形式によりて成る。 故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。 個の弥栄は、全体の弥栄である。 個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。 個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。 霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。 其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである”

 それで第十七帖で述べられている“直接内流”に関しては、第十八帖に続いていることを述べ、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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