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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”地震の巻の解釈を終えてから…感じた事。“その三十”



 今回は、地震の巻(二曰んの○キ)の総括を述べることとする。

 まず、二曰んの○キ の表記の意味、これは、“その一”で述べた通りであり、以下にコピペしておく。

“二”は肉体の意、“曰”は、口(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の意)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、ひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記の“ん”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用する。
“ン”は、終わり、終焉、終わっている、最終段階、あるいは、これ以上先に進まないの意
 そして、“○キ”は、その心(靈)、霊の表記が○、そして“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし、
なので、“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”をする霊的成長度の高い生命(生きる使命=存在理由)である人間、あるいはその“思惑の顕現”をする資質、“一”=智性=1番目のオーラを獲得し、高い存在と感応する“ほんとう”の意味での“天詞様”、または、その資質を獲得する法則性、いわゆる“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、これを示している。 よって“二曰ん”は、肉体の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の最終段階、最終段階とは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)が進み、完成に近づいた、ある程度めどが立った、それは“ほんとう”の意味合いでの惟神(かんながら)であり、それは“上”との感応、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を理解し認識(悟り、幸取=さとり)とする、またこれが出来得るのが智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が高まった肉体と心(靈)、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを“行”とし、霊的成長した者、それであるといえ、“一”=智性=1番目のオーラが高まるならば“日月神示”表記の“天詞様”、“上”と感応して神の思惑を自分の思想に活かしている様、と言いうるし、その“の”“○キ”と示されており、“の”は“二曰ん”にかかり、“○キ”も“一”=智性=1番目のオーラが高まってこの事象に神の思惑、天意、これを顕現する“天詞様”の意である。


 引用終わり。

 それで、二曰んの○キ の“曰”は、口(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の意)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、この表記の意味合い、“創造”の“主(ヌシ)”と“創造”の“主(ヌシ)”以下の一切の生命のうちの最終段階の(“ん”)生命である人が息吹く、これは、それぞれが個の心(靈)であり、それぞれが霊的成長度の高低こそあるが生命であり、その心(靈)の発振、発信は、自分以外に影響を与え、自分以外の心(靈)すべて、その動きに干渉しているといえる。 そしてそれは、それぞれの生命、人間と人間以下の生命にも影響を与えているものでもある。
さらに人間と人間以下のそれぞれの個の心(靈)、それぞれの生命が、自分以外の息吹(これは“創造”の“主(ヌシ)”をも含む自分以外の一切の生命の意)を受け、その影響を受けて息吹くがゆえに、その振動自体はそれぞれの心(靈)の思惑という情報をもち、それゆえそれぞれの心(靈)に現津(あきつ)、観察され得る事象を“映像”し得るものであるし、それぞれの振動の受発信は、“観察と認識”、これと同義であるとも言いうる。
それは第一帖の
“只自分自身のみの行為はない。 只生れゆき栄えゆくのみである”
この文言の意味合いは、お前たちが個の心(靈)であり、その心(靈)の行為として“観察と認識”している事象、それと“創造”の“主(ヌシ)”の行為は“創造”であり、“創造”の“主(ヌシ)”は幾多の個の心(靈)を“創造”しているからこそ、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹と幾多の個の心(靈)の息吹も加わって個の事象が“創造”されている、という言い回しが“只生れゆき栄えゆくのみである”である。

 さらにその“映像”され得る事象は、“一切万象”“全体”に普遍的に個の心(靈)が存在すると“観察と認識”しうるので、それぞれの霊的成長度、そこにおける息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の高低により、相違があるものである。
 
 もうひとつ、その個々の心(靈)の事象の観察には、“創造”の“主(ヌシ)”の介入があり、“創造”の“主(ヌシ)”ともども事象の“観察と認識”をしているものである。
第十六帖
“考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。 霊的な内奥の自分からである。 この内奥の自分は、神につながっている。 故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである”

 これらが、われわれ“地上人”を含む、“創造”の“主(ヌシ)”をも含む一切の生命が“観察と認識”しうる事象の実相であり、それぞれの個の心(靈)の息吹が、事象を成り立たせていることを示唆している。

 また、それぞれの個の心(靈)、それぞれの生命が“状態の変化”をする、それは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑の取り込みの変容といえ、それを地震の巻では“直接内流”と称し、それにより各々の個の心(靈)に“映像”され得る事象も“状態の変化”をするものである。 
その“状態の変化”の過程と言える表記が“弥栄”であり、結果が“大歓喜”、すべての生命が神に近付き、“創造”の“主(ヌシ)”自身も、第一帖で述べられている通り、“状態の変化”をする。 下線を引いておく。
第一帖
“われわれの一切は生れつつある。 神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。 一定不変の神もなければ、宇宙もない。 常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく”
同じく第一帖
“宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある

 その事象の観察、“創造”の“主(ヌシ)”をも含む一切の生命が観察しうる事象、その結果が先に述べた個の心(靈)すべての息吹となり、個の心(靈)一切も個の心(靈)一切が観察しうる事象も“状態の変化”をする。
 その“状態の変化”のために“二義的”(根本とは相違する、根本から派生した何か)な事象を“観察と認識”しうる。 またそれは“御用”と称され、“一切万象”“全体”すべての生命の“弥栄”のために“過去”“現在”“未来”“生”“死”“善”“悪”“真”“偽”“美”“醜”“愛”“憎”、あるいは“生”と“死”あるいは“天国”と“地獄”あるいは“春”と“秋”あるいは“太陽”と“太陰”、これらを認識しうる。
 その、個の心(靈)の“観察と認識”は先に述べた通りこの心(靈)自体の息吹となり、新たな事象の“創造”に繋がるものである。

 そしてすべての個の心(靈)は第九帖の
“霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。 これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の 
渦巻き 左回転 (うごき)をなす”
この“  
渦巻き 左回転 (うごき)” “善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、左、日足(ひたり)回転は、先に述べた通り結果として“大歓喜”すべての生命が神に近付き“創造”の“主(ヌシ)”自体もそれに伴い“状態の変化”をするものである。 それは第三帖の
渦巻き 左回転  は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく”
文言中の“大完成”、これが、“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、を“観察と認識”しうる意義であり、これらが存在であると認識する心(靈)においては、その存在の目的を見出し得るものと言いうる。

 その、われわれをも含む“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、この“大完成”は、先に述べたすべての個の心(靈)の息吹によって行なわれており、それゆえ振動の法則性が観うけられる。 これに関しては以前箇条書きにしたことがあるので以下にコピペしておく。

● 心は霊であり、霊は荷電粒子の回転である。

● 神という字も、示す偏(へん)と呂で構成され、“呂”は頭と腹のエネルギーの回転を示す表記、頭と腹は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)によって結ばれており、さらに神が巨大人の構造を持ち、神自体の“上”と“下”の荷電粒子の回転を示す字が神である。

●  “亜”(人の心(靈)が認識しうる)根元の何か、究極微粒子)がいずる、これが“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)である。

●  一切の生命は、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を取り込んで進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくものである。 

● そしてその天意の一部を、地球人の物理では電磁波と分類している。

● 地球人は電磁波で通信が出来得ることを発見し(発明発見は、“上”から教えられたことであり、それを知る、利用する許可が出ているということ)実際に使い始める段階に入った。

● 同様に“創造”の“主(ヌシ)”は、通信=思惑を被造物である生命に送り贈っている。

●  “創造”の“主(ヌシ)”の息吹にも、高低がある。 これは神が巨大人の構造を持つが故に“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラに相当する息吹があるからである。

● 肉体を持った生命は、物質が電荷を持つが故に派生するローレンツ力により、天意を取り込んでいるし、そのローレンツ力に応じた心(靈)の成長=霊的成長度ということがある。 

● また肉体を持った生命が発振、発信している“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目も、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による振動であり、科学では電磁波と認識されている。

● 霊的成長度の高低において、取り込める通信、振動の高低が決定づけられる(“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない))。 
 
● 同様に、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)において、心(靈)対心(靈)にも“変圧”という法則性があり、いきなり自分より高い存在とは感応しえない。 

● これは自分の霊的成長度に相応した発振、発信しか出来得ないからこそ、いきなり高い“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)とも感応できないのであるが、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)とは感応できる。
● その感応を決定づける要因は自分の心(靈)の在り方である。

● またこの“変圧”という法則性があるが故に、“類魂”“霊団”(ローム太霊が述べた概念)が構成され、それは地震の巻表記なら“同気同一”あるいは“同気同類”“同一線上”であり、人間においても同程度の霊的成長度の人間でなければ話が合わない、気が合わない、など、価値観の共通性や相違があるものである。
 よって個の心(靈)を含む“一切万象”“全体”“生命”事象の実相、には、振動の法則性というものが観られ、また、それによって構成されているものである。

 そしてこの心(靈)すべてが“観察と認識”している事象は、すべてが神の範疇である。 神の範疇であるがゆえに“神律”を認識しうるものである。
 これに関して、第五帖
“全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である”
そして第二帖
“秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない”
と称され、さらに第七帖の
“地上には、地上の順序があり、法則がある。 霊界には、霊界の順序があり、法則がある。 霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。 また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。 しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。 その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する
ということをわれわれ“地上人”は知らない。
 また“その完成から次の完成へと弥栄する”、これがまた“一切万象”“全体”、すべての“生命”の存在の意義と意味であり、“弥栄”、そして“大完成”“大歓喜”は、これから“状態の変化”をして為し得る事象の実相、であると言いうる。

 よって、これら地震の巻で述べられていることそのものが、
● われわれとは何か
● 神とは何か
● 神をも含むわれわれの存在の意味と意義は何か
● 生命とは
これらの回答を示唆するものであることを述べ、地震の巻の総括とする。

 次回のこのカテゴリーでは、光の巻(一火 ○キ)の解釈に入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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