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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集” 第三十三話 滝壺の精とその洞窟 Kellyさん的解釈“その二”



 今回は、先回取り上げた文言の文末を含めている以下の文言の解釈をする。

滝の水が間断なく落ちてくる力を滝壺は刻々に受入れ…中略…滝の精が下の壺で満たそうとしてその希望を燃やしているのに対し、滝壺の精は常に叩かれながらそれを甘受…中略…実に菩薩の姿…中略…常に叩かれている人間が何処へ出ても円満な力を備えているのと同じ…中略…この精は自分の滝壺の奥に必ず立派な洞窟を…中略…入口は強い意志の力を象徴するかのような大きな岩でしっかりと塞がれ…中略…何故洞窟などを造るのかというと、これは滝に対する壺の精の安息所であると同時に、常に叩かれている者が自分の理想を実現するために、何千年かの長い歳月をかけ、念の力によって目に見える形に造り上げたもの…中略…元々滝壺の精が自分の理想を実現するために創造…中略…実際には壺だけではなく、滝全体の理想がその中に織り込まれ纏められ…中略…全く人間的な手法によって完成されている…中略…娯楽場と化して、花やかな雰囲気の中に真に人間の望むところのものは凡て満たされる…中略…そこを本当に探知することが出来れば、滝の修行もその面目を一新する…中略…自分の肉体は岩の上に在りながらその幽体は洞窟の中に入いり、この滝が何を教えようとしているかをさとり得てこそ、真の行者と言える…中略…汝等もその力を十分に知り、精が人間のためになそうとする行為の一端を受けつつ清流に穢れを祓い、その滝によって示されている理想に合体しなければ本当の禊の行にはならない…中略…水を被(かぶ)るとか被らないとかの問題ではなく、その中に入いりそこの守り神や精達と提携することによって、自分の神体が神の御胸に添うべき元となるよう努力すると同時に、これを他の人間に教え伝えてこそ、滝や滝壺の精に対する報恩の行と言える…中略…こうして滝の精や滝壺の精は、それぞれの理想に従い精としての向上を計るとともに、人間の霊の向上のためにも助力することを自分達の努め…以下略…

 今回取り上げている文言は、文末から取り上げていくと理解しやすい。
 まず
滝の精や滝壺の精は、それぞれの理想に従い精としての向上を計るとともに、人間の霊の向上のためにも助力することを自分達の努め

 文言中の“人間の霊の向上のためにも助力することを自分達の努め
そして
それぞれの理想に従い精としての向上を計る
これは“滝の精や滝壺の精”自身の存在の意義である。 ことに前者は“人間に近付こうとしてあらゆる行(ぎょう)を積んでいる”(第二十八話の表記)に当たることでもある。

 その前の文。
自分の肉体は岩の上に在りながらその幽体は洞窟の中に入いり、この滝が何を教えようとしているかをさとり得てこそ、真の行者と言える…中略…汝等もその力を十分に知り、精が人間のためになそうとする行為の一端を受けつつ清流に穢れを祓い、その滝によって示されている理想に合体しなければ本当の禊の行にはならない…中略…水を被(かぶ)るとか被らないとかの問題ではなく、その中に入いりそこの守り神や精達と提携することによって、自分の神体が神の御胸に添うべき元となるよう努力すると同時に、これを他の人間に教え伝えてこそ、滝や滝壺の精に対する報恩の行と言える

 読めば理解できるように、これは“行者”が、
自分の神体が神の御胸に添うべき元となるよう努力する
そして“神の御胸に添うべき元”これを
他の人間に教え伝えてこそ、滝や滝壺の精に対する報恩の行
もと称されている。
 それは、“行者”が第三十二話の“”を求めるという段階からうんと進んでいって、“神体が神の御胸に添うべき元”、これは、自我より“上”の心(靈)である“慈悲”と“慈愛”や智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を獲得するその“”、自分の存在の意義、自分の獲得した“力”の使い方、自分の在り方、など、智性(神性)を行使する段階に至る、またこれは、うんと進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、いずれ“衆生済度とか真理の探究”(天仙の思惑)につながっていくものであるし、その“”を自分の認識(悟り、幸取=さとり)としたならば、それは“同時に”“”の“ほんとう”の意味合いを見出したならば、ということであるが、それだからこそ“神体が神の御胸に添うべき”という言い回しがされているものである。
 これがまた“滝が何を教えようとしているかをさとり得て”に当該することであり、これは“行者”にとっての“上”である“守り神や精達”が、第三十二話で言われている通り“自分の所に来て修行をする人間を親切に指導してくれる”、それは“行者”の“神体”が“神の御胸に添うべき”その“”、それを教え、そうなるべく指導してくれている、そういった思惑を持っているのだと読み取るべきである。
 その具体的なこととして
水を被(かぶ)るとか被らないとかの問題ではなく、その中に入いりそこの守り神や精達と提携する”、
この“提携”とは、先の“”を“行者”自身が得るべく息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)する、そうすると“守り神や精達”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して“行者”の心(靈)が影響を受けて育っていくのだ、ということである。
 そしてその前の
汝等もその力を十分に知り、精が人間のためになそうとする行為の一端を受けつつ清流に穢れを祓い、その滝によって示されている理想に合体しなければ本当の禊の行にはならない”、
これは先の“提携”のことであり、その前の
自分の肉体は岩の上に在りながらその幽体は洞窟の中に入いり、この滝が何を教えようとしているかをさとり得てこそ、真の行者と言える”、
これは、この“提携”があってこそ“真の行者と言える”のであり、先の“”を自分の認識(悟り、幸取=さとり)としてさらなる“”に進んでいくことが“滝が何を教えようとしているかをさとり得てこそ”に当たるものである。
 そしてその前の
自分の肉体は岩の上に在りながらその幽体は洞窟の中に入いり
というのは、肉体より細かい振動で出来ている“幽体”で感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をする、という意味合いのことである。

 その前の文。
この精は自分の滝壺の奥に必ず立派な洞窟を…中略…入口は強い意志の力を象徴するかのような大きな岩でしっかりと塞がれ…中略…何故洞窟などを造るのかというと、これは滝に対する壺の精の安息所であると同時に、常に叩かれている者が自分の理想を実現するために、何千年かの長い歳月をかけ、念の力によって目に見える形に造り上げたもの…中略…元々滝壺の精が自分の理想を実現するために創造…中略…実際には壺だけではなく、滝全体の理想がその中に織り込まれ纏められ…中略…全く人間的な手法によって完成されている…中略…娯楽場と化して、花やかな雰囲気の中に真に人間の望むところのものは凡て満たされる…中略…そこを本当に探知することが出来れば、滝の修行もその面目を一新する

 文末の“本当に探知することが出来れば”は、先の“肉体は岩の上に在りながらその幽体は洞窟の中に入いり”にかかり、“幽体”で“探知”しなければ、“洞窟の中”には入れないのだ、と述べられているし、こういった方法でなければ、先の“滝が何を教えようとしているかをさとり得て”とはならないことを示されている。
 それは自分が“行者”として“”で“”するならば、ここまでのことを目指してみよ、これは換言すれば“幽体”における“観察と認識”をせよ、“肉体”で得られる以上の振動を“感受”(心(靈)で感じ取る)せよ、その振動の受信による現津(あきつ)、観察され得る事象を自分の心(靈)に“映像”(地震の巻 表記)(個の心(靈)が“観察と認識”している事象そのものは、自分の心(靈)の中に投影された“映像”である)とせよ、でそうでなければ先の“真の行者”ではないのだ、ということでもある。
 その“映像”された事象について
滝壺の精が自分の理想を実現するために創造…中略…実際には壺だけではなく、滝全体の理想がその中に織り込まれ纏められ…中略…全く人間的な手法によって完成されている…中略…娯楽場と化して、花やかな雰囲気の中に真に人間の望むところのものは凡て満たされる
と述べられているし、それは
滝に対する壺の精の安息所であると同時に、常に叩かれている者が自分の理想を実現するために、何千年かの長い歳月をかけ、念の力によって目に見える形に造り上げたもの
であり、ここで重要なのは
念の力によって目に見える形に造り上げた”、
これは“壺の精”自身の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”ということでもある。
 そしてその“創造”された“滝壺の精が自分の理想を実現するために創造…中略…実際には壺だけではなく、滝全体の理想がその中に織り込まれ纏められ”たその事象を“行者”が“幽体”で“探知”すること事態が、先の“守り神や精達”が“自分の所に来て修行をする人間を親切に指導してくれる”(第三十二話の表記)に当たるものである。

 そしていま述べたこと事態は、その前の文を読むと解りやすい。
滝の水が間断なく落ちてくる力を滝壺は刻々に受入れ…中略…滝の精が下の壺で満たそうとしてその希望を燃やしているのに対し、滝壺の精は常に叩かれながらそれを甘受…中略…実に菩薩の姿…中略…常に叩かれている人間が何処へ出ても円満な力を備えているのと同じ

 この“常に叩かれている人間が何処へ出ても円満な力を備えているのと同じ”、
常に叩かれている”が“真の行者”の姿であり、この“円満な力を備えている”の“”が、“自分の所に来て修行をする人間を親切に指導”によって得られるのである。
 また“常に叩かれ”と“実に菩薩の姿”、この文言、自分が“”やっているならば、これを忘れてはならないし、この文言で自分を律するべきである。
 そうすると
神の御胸に添う
それは“衆生済度とか真理の探究”(天仙の思惑)という段階にいずれ至る、参考のために、第十八話 地仙と天仙 から以下にコピペしておくのでしっかり読んで理解していただきたい。

幽界を通り越して直接霊界に行けることは、生きている間に現界、幽界、霊界を常に往来して鍛錬されていたからで、この天仙ともなられる方は神と言っても差支えない…中略…ここまで来ると前に言った仙道の三要素などは最早問題ではなく…中略…不老長寿というよりは衆生済度とか真理の探究とかそれぞれの名の下に、いわゆる天行仙というような一つの格をもってその目的の所に自分の体を合体され…以下略…

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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