“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集” 第二十六話 仙道と人間の生活 Kellyさん的解釈“その三”



 今回も先回同様、“その一”で取り上げた以下の文言を解釈することとする。

仙道も…中略…数万年の昔から一本の道として今日に至っているということは、それが真に立派なものであることを証明している…中略…同時に汝等にとっても大切な話であるから、そこに説かれている仙金法 (錬金術)、調和法(呼吸法)、性に関連した長寿法、いろいろな言葉で顕わされた法(のり)、それらのことをよく悟って、なるほど仙道とはかようなものかということをよく頭に入れ…以下略…

 先回、
原始時代…中略…人間が神と接近していて、直観の力も強かったし幽界の霊達との交渉も容易であった…中略…分らないものは凡て神とし魔としてその善悪を知らされていた

について解釈をしたが、これに続く以下の文、

天体や自然に対する智識が進み占術や祈祷の道が開け…中略…規律が生まれ組織が出来てきて終に仙道というものが形成された
そして
この道がその後に起こったさまざまな宗教に入いって今日の密教となり顕教となったのであるが、それらの教義が逆に仙道に入いってきてそこに多少の変化を与えたことは前に述べた

これは“原始時代”から変容した“仙道”について説明をしていらっしゃるものである。
 この変容事態が、人間が智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を獲得し始め=“原始時代”よりは霊的成長して行ってきたこと、それと先回述べたとおり、“力”としての知恵が加わり、よって“仙道”そのものも変容してきたことを太霊は説明していらっしゃる。
 また、先回も指摘した通り、人間自体の心(靈)で“善悪”を(その霊的成長度の高低において)認識(悟り、幸取=さとり)とし、その是非を判断し、自らの生き方に当てはめて、自分の在り方を鑑みることが出来得るようになってきた。 これが出来るなら智性(神性)を発揮した心(靈)と言いうる。

 それで“原始時代”から人間は何を為してきたのか、太霊は

元来道とか宗教とかは、人間の歴史の半面を支配する…中略…極端な言い方をすれば宗教の顕われが歴史…中略…それは人間のいろいろな思想の具体化されたものが宗教であり、現実に流通している宗教の思想がその時代の心…中略…歴史そのものは科学であるとともに道である

と述べていらっしゃるが、たった今の
人間のいろいろな思想の具体化されたものが宗教”“その時代の心
である
現実に流通している宗教の思想”については、“役員づら”の形骸の権威、権力と(通貨としての)金、これに対する執着、これらによって腐りきっており、よって“その時代の心”、たった今は先回述べたとおりまっとうな心(靈)の成長をしていないと観ることが出来得る。 

 先回と重複するが、たった今の人間は自省(胸の磁性“十”)の足らない自我の肥大による心(靈)の動き、この“その時代の心”、それ自体が右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、その右往左往の過程であることを指摘でき得る。
 それで太霊は“人間のいろいろな思想の具体化されたものが宗教”と説明していらっしゃるが、もっと広い視野において“思想の具体化されたもの”、たった今のそれは右往左往であり、失敗の過程であるのだが、今後=アセンション後の“その時代の心”は左往右往により、まっとうなものになっていく、そうなっていくこと事態が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)が行う妥当な事であると言わざるおえないし、太霊はそこまでのことを示してはいらっしゃらないが、たった今の人間の愚かさ、ということを、この文言を観て考えざるを得ない感がある。
 
 それと“歴史そのものは科学であるとともに道”というおっしゃり方をされている理由は、たった今、失敗の過程も“”(時間の進行)には違いない、それは模索とも試行錯誤とも言いうるし、そして失敗の“歴史”も、左往右往によってまっとうな方向性を見出すためには必須の過程である、これ事態を人間自身が自分の頭で見出すべき“科学である”という言い方をされているものである。
(“科学”言葉としての意味は、体系化された知識や経験の総称、であり、そこから得られる認識(悟り、幸取=さとり)が重要なのだ、というのが○○○大先生の意見である)

 そしてこれら文言は

汝等にとっても大切な話であるから、そこに説かれている仙金法 (錬金術)、調和法(呼吸法)、性に関連した長寿法、いろいろな言葉で顕わされた法(のり)、それらのことをよく悟って、なるほど仙道とはかようなものかということをよく頭に入れ

これにかかっており、恨みの連鎖の霊的干渉により肉体と心(靈)が劣ってしまっている現代人=“汝等にとっても大切な話”、それは“仙金法 (錬金術)、調和法(呼吸法)、性に関連した長寿法”が重要なのはもとより、最も大事なのは“いろいろな言葉で顕わされた法(のり)”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の絶対の法則性、これを自らの認識(悟り、幸取=さとり)とせよ、その認識のとおり生きよ、というのがここまでの文言の要旨であると確信する。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集” 第二十六話 仙道と人間の生活 Kellyさん的解釈“その二”



 今回は、先回取り上げた以下の文言を解釈することとする。

仙道も…中略…数万年の昔から一本の道として今日に至っているということは、それが真に立派なものであることを証明している…中略…同時に汝等にとっても大切な話であるから、そこに説かれている仙金法 (錬金術)、調和法(呼吸法)、性に関連した長寿法、いろいろな言葉で顕わされた法(のり)、それらのことをよく悟って、なるほど仙道とはかようなものかということをよく頭に入れ…以下略…

 この文言中で太霊は

仙道も、道教や仏教は固よりそれ以前の印度教の、例えば夜叉などの思想の影響を受けて徐々に変化をしてきてはいるが、仙道そのものは、これら宗教と名付けられるものより前に存在していたことは間違いない事実

と述べておられ、この
仙道そのものは、これら宗教と名付けられるものより前に存在していたことは間違いない事実
これは人間においての進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道であるから、それだからこそ
宗教と名付けられるものより前に存在
これは妥当な事なのだと読み取るべき。

 そして人間の進化の過程は徐々に進んでいる、それについて太霊は、

大体原始時代には、人間が神と接近していて、直観の力も強かったし幽界の霊達との交渉も容易で…中略…分らないものは凡て神とし魔としてその善悪を知らされていた

こう述べておられ、この“直観の力も強かった”というのは自分の頭で分るというよりも、“上”の憑依で“直観”を得て、
分らないものは凡て神とし魔としてその善悪を知らされていた
と解することが出来る。

 これに相対し、たった今の人間は“力”としての知識、そして智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)と智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を“原始時代”よりは発現させており、自分で“善悪”を判断できるし、これらが高まるほど“善悪”について鑑み、その意味を認識して、智性(神性)を発揮した心(靈)ならば自分の生き方に活かすことが出来得るようになるものである。

 しかしながらたった今の地球人は、自我の肥大による自分に対する甘さ(甘い(亜、魔、出ずる、泉))と、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)でまっとうに育ってはいないものではあり、それだからこそ霊的成長度の高低における区分け、アセンションにおいて次の段階に移行しうる心(靈)の資質を持つ人間が少ないので“上”の介入があり、ローム太霊が行ったこともこれそのものである。

 本題に戻り、知識と智慧と智性の高まり、自分で“善悪”を考えることが出来る、これが“原始時代”とは違い、現代人=たった今の平均的地球人の“直観の力”が弱くなった、“人間が神と接近”でもなくなってきた、“幽界の霊達との交渉も容易”ではなくなった、その理由の一つであり、さらに“原始時代”よりは人間が生み出している恨みの連鎖の霊的干渉による悪霊の憑依が勝っており、その悪霊の憑依は先の自分に対する甘さと“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による感応であるし、○○○大先生が著書で述べている通り悪霊の憑依の犯罪などは、悪霊の憑依による通信を受け=“直観”して、犯罪に及んでいるというケースが非常に多い、こういった事柄も暗に示されており、この悪霊の憑依を自分たちの心(靈)の在り方においてなんとかする、これが“原始時代”とは違う知識と智慧と智性(神性)を発現させた=多少進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人間に与えられている課題であることを読み取るべきである。

 次回も今回取り上げた文言を解釈する。 今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集” 第二十六話 仙道と人間の生活 Kellyさん的解釈“その一”



 今回から第二十六話の解釈に入ることとする

 このローム太霊講話集解釈をカテゴリーとして立ち上げる際、以下の事柄を述べた。

要はローム太霊講話集を読んで感じ(感じる磁性)たことが、その人たちの霊的成長度における解釈と認識(悟り、幸取=さとり)でしかない…中略…何か履き違えていたり、甘い解釈をしていたりする人も多かった(ことにそれは、ネット上でローム太霊講話集を取り上げてる人に多い)…というか、ほとんどがそんな人ばかり
 ローム太霊さんがT霊媒=竹内満朋先生のエクトプラズムで実体化して述べた言葉、その意味や言い回しの意図、どういう立場でこういう言い方をしているのか、ローム太霊は人に何を伝えたいのかなんてことに気がつかない人が多い感があった


 上記の事柄を要約すれば、程度の低い心(靈)は程度の低い解釈と認識しかできないということでしかないし、大体(これを書いているアタシとしては)ネット上でローム太霊講話集を取り上げている人間は真摯に読んだのか、流し読みをして目に止まったところだけ取り上げて自分が目立ちたいがために「仙人になれる」などの勝手な解釈を流布しているとしか見えない。
 またローム太霊講話集を読んだ多くの人たちは先の
太霊は人に何を伝えたいのかなんてことに気がつかない人が多い”、
これもローム太霊講話集自体を軽く扱い、そこに述べられている深遠な意味合いに気付かないということである。

 それで今回から取り上げる第二十六話の重要な点は以下のようなものである。

 まず、自分がローム太霊講話集を読んで仙道の項目において何を考えるべきかを太霊自らが教えている文言。

仙道も…中略…数万年の昔から一本の道として今日に至っているということは、それが真に立派なものであることを証明している…中略…同時に汝等にとっても大切な話であるから、そこに説かれている仙金法 (錬金術)、調和法(呼吸法)、性に関連した長寿法、いろいろな言葉で顕わされた法(のり)、それらのことをよく悟って、なるほど仙道とはかようなものかということをよく頭に入れ…以下略…

 上記文言中の“仙道とはかようなものか”と知ったならば、さらにそこには人間が解らないものを解るようにしてきたその過程、その際の心(靈)の動きを示し、またそれで得られる認識(悟り、幸取=さとり)、自分なりの答、これはまた霊的成長度の高低によって違う各々違う答えになるものであるのだが、それを求めてしっかり得よ、の意図があることを示した文言。

人間は変動しない一つの焦点に対し…中略…凡ての想像を巡(めぐ)らし…中略…あらゆる角度にまで持って来る…中略…そうするとこの一点自体もやはり一つの仮定…中略…常に進化していることには変りない…中略…人間の想像もかくあるべき…中略…過程の上に理論(セオリー)を積み重ねているのが科学であり、想像によって理論(セオリー)を推し進めているのが哲学であり宗教であるとするなれば、この相反している二つの焦点が現在以下に遠く離れていようとも、それは同じ一点、例えば北極から飛び立って南極に向う二つの飛行機が、一機は東半球のコースを取り一機は西半球のコースを取ったのと同じように、その最後は再び一点に合致する…中略…そこに神の意図がある

 その認識と答えを、人間自身に求めさ、得させることをする神の思惑、その意図、その目的、これを示した文言。

この理論と実際とを融合(とけあわ)さして、地球の上にその理想を創造しようとあらゆる努力をされ…中略…これは一つの道にある人間の心の問題…中略…その心をより以上に発達させるため…中略…結局は人間の頭で考え得られないことを自分の肉体によって感知して、現在の生活をより幸福なものにするため…以下略…

 次回からこれら文言の詳細な解釈を行っていくが、そこには進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すべく人間の在り方、という重要な事柄が述べられており、ローム太霊講話集を読んで、あるいは○○○大先生の著書を読んで、自分の生き方や在り方を考え始めていらっしゃる方は、第二十六話で太霊が述べていらっしゃる内容を自らの心(靈)に止め、深い認識(悟り、幸取=さとり)を構築していただきたいものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




Kellyさんが“日月神示”荒の巻の解釈を終えてから…感じた事。



 荒の巻は“その一”で述べたように、神の思惑をこの事象に顕現する、あるいは高振動の神の思惑を低振動化させて顕現させる、少々わかりにくい言い方をするが、これ事態が生命を創造し生命自体に喜びを味あわせるという神の思惑であり、さらにそれは“創造”の“主(ヌシ)”の強固な砌(みぎり)の極性(事象への顕現)荒の巻の表記なら

“誠母(親の古字)の秘文(マコトモモのヒフミ)。 霊気世に満ち漲り(レイキヨにミちミナギり)、 国々晴れ渡るぞ(クニグニハれワタるぞ)。 日継(日通基)開く文字(ヒツギヒラくモジ)、網母成る極みなり(モモナるキワみなり)”

この文言中の“母”と言いうる。 

 これがたった今の醜い事象から今後=アセンション後に移行して“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”、事象も個々の心(靈)も一切がそうなっていく、そのためには荒の巻の表記“誠一つ”でなければならず、さらにこれまでの“日月神示”で登場した“善一筋”(風の巻 岩の巻)あるいは“善一すじ”(天つ巻 第二十八帖 世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ)“善ひとすぢ”(天つ巻 第三十帖 善一すぢとは神一すぢのことぞ)、これも一切が“善(神格化の方向性と智性の受信)”一筋、こうなっていくものであるし高い進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と言いうるものである。

 それはこれまでが“上”の“思惑の顕現”=現象化が大して行われてこなかった、また先に述べた
高振動の神の思惑を低振動化させて顕現させる”、
これまではこれが出来なかった、高振動と感応する心(靈)を持った人間があまりいなかったから霊的成長度の低い人間に好き勝手やらせてきた側面があり、それは程度の低い心(靈)の事象の“創造”はすべてが崩壊の方向性でしかないし、自分たちは地獄に落ちて自省(胸の磁性“十”)の“行”をしなければならない(閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ))、こういった形で自分たちの在り方を学ぶしかないという段階は終わるのだ、ということでもあった。
 そしてその段階では先の、神の“思惑の顕現”=現象化ということにはなり得ない。 換言すれば人間の心(靈)の準備もできていなかった。 
 これに相対し今後=アセンション後は霊的成長度の高い心(靈)が思う幸福、価値観、善悪の概念、こういったものを新たに自分たちの心(靈)の中に構築する=認識(悟り、幸取=さとり)とする、これが荒の巻の“読字(黄泉)ぞ(ヨミジぞ)”あるいは、

“読む開き(ヨむメヒラき)、字出づ理に成り(ジイづミチにナり)”
“本能秀(生命)月日の極み成る(ホンノホツキヒのキワみナる)読む言の極み(ヨむコトのキワみ)”
“このふで軸(時間空間)読(このふでジクヨミ)”
“細工隆隆(サイクリュウリュウ)読の極み立つ世ぞ(ヨミのキワみタつヨぞ)”
“くくりし読は惟完読(くくりしヨミはカンナガラヨミ)”(これは認識(悟り、幸取=さとり)が高まらねば“上”と感応し得ないという意味合いを含んでいる)

など、“読”があてられた表記はすべて認識(悟り、幸取=さとり)の高まりを意味しており、今後=アセンション後に移行すべく人間は認識(悟り、幸取=さとり)の高まりと自省(胸の磁性“十”)の心(靈)をもつ、持たなければならない、という意味合いが

“読路(黄泉)の玉糸(意答)(ヨミジのタマイト)秘名の光立つ(ヒナのヒカリタつ)”

であり、認識(悟り、幸取=さとり)の高まりが無ければ自我の確立=固定化から“上”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)(岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く)に至らないというのが、生命の存在の意味と意義、その使命、などを指す“答(トー)”があてられた表記

“言答開き成り成るぞ(イワトビラきナりナるぞ)。 誠言答は永遠ぞ(マコトイワトはトハぞ)”
“字句字句(ジクジク)、真問ひ成り成り鳴り(マトひナりナりナり)、読(黄泉)の岩戸(言答)開くなり(ヨミのイワトアくなり)”(後述するが“字(ジ)”の表記は“普字(フジ)”のそれである)
“理の極の光の答の山路(大空間)(リのキワミのヒカリのトーのヤマジ)百霊継ぐ文字の道(ヒヤクレイツぐモジのミチ)。生(基)の極みたり(セイのキワみたり)”(“基(キ)”があてられた表記は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を指す)
“面白に秘解く成答(オモシロにヒトくナルト)、文道とどめたり(フミミチとどめたり)”(この“文”の表記も“普字(フジ)”“字(ジ)”のそれである)

そして先の認識の高まりによって得られる“答(トー)”、これを言い表わした表記が以下の文言

“言の絶対の答(コトのゼッタイのコタヘ) 人の意の極みなる意味ぞ(ヒトのイのキワみなるイミぞ)。 読みこれぞ(ヨミこれぞ)”

であり、そうなっていくのが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であり、さらに以下の文言

“はじめの光り(はじめのヒカり)、今(イマ) 輝きて(カガヤきて)、答神(真理)覚め覚め棒ぐもの(トーカミサめサめササぐもの)、百取りしろ(網母十理詞露)に(モモトりしろに)充ち満ちて(ミちミちて)、弥栄御座湧きに湧き(イヤサカミグラワきにワき) 天晴れ継ぐ(アッパれツぐ) 神の答は字に有り(カミのコタヘはジにアり)”

この“はじめの光り(はじめのヒカり)”は“創造”の“主(ヌシ)”の思惑であるし、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意ととらえるのが妥当であるし、それを取り込む具体的な方法が“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことである。

 前後するが、たった今の人間の認識はとても低い、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の通念が一般的であり、そんな心(靈)には“上”は感応し得ない(“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない))のであるが、これからは高い霊的成長度の人間、あるいはそれを目指す人間、そういった人間を輩出させるのが神の計画でもあり、そのために艮(うしとら)の金神は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを教え、それを体得せよ、の意味合いが

“日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)”

そして“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして次の事象の“創造”に参加せよ、先の
“創造”の“主(ヌシ)”の強固な砌(みぎり)の極性(事象への顕現)
という意味合いを感じさせるのが

“日継(日通基)開く文字(ヒツギヒラくモジ)、網母成る極みなり(モモナるキワみなり)”

であり、さらに荒の巻で何回も使った“普字(フジ)”

普字の解字この意味を考えよ、考えて考えたこと事態が息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)になり“上”と感応して自分の認識(悟り、幸取=さとり)を高めよ、それは不食や在るのかないのかわからないようなご利益などを求める示威行為が現われた程度の低い太陽凝視ではなく、自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”、生きていることの意味を真摯に求め鑑み“行”を実践し“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して目上(めうえ)の脳で“一”=智性=1番目のオーラを強固にして“上”と感応する(“天詞様”)、これからの人間はこうでなければならないのだということである。

 ここまで荒の巻を解釈してはっきりわかったことを大ざっぱに述べたが、荒の巻全体が非常に精緻な文章であり、以下の要点が幾重にも感じ取られるものである。 

● たった今の地球人の霊的成長度より“上”の進化を指す事柄と霊的成長の秘訣
● 進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を指す事柄
● 進化した心(靈)が“観察と認識”する対象である今より高い事象を指す事柄
● 生命そのものを指す事柄
● 生命の存在の意義と意味を示す表記
● 進化した生命(生きる使命=存在理由)が成すべき事柄
● “創造”の“主(ヌシ)”と“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これを指し示す表記
● “創造”の“主(ヌシ)”が人間に託した使命を指す表記
● “創造”の“主(ヌシ)”の思惑そのもの

 もし自分が、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指し、次の事象に移行したいと思われるならば、上記の事柄をここまでの解釈から読み取り、何回も読んで自らの認識(悟り、幸取=さとり)として“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”の現われた“行”、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、これ等を成し遂げてもらいたいというのが、この文章を作成している○○○大先生の意図であることをあえて述べ、荒の巻の解釈を終えることとする。

次回のこのカテゴリーでは地震の巻(二曰んの○キ)の解釈に入ることとする。 今回はこれくらいにしときまんねん。




“日月神示” 荒の巻 第一帖 Kellyさん的解釈 “その二十七”



 今回も、荒の巻の以下の文(先回の続き)を解釈をおこなうこととする。

文命の言の御代の(フミミコトのコトのミヨの)、月の光りなり(ツキのヒカりなり)。 五十意図始めの光り知りて(タマイトハジめのヒカりシりて)、尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる) 誠の神のふでなるぞ(マコトのカミのふでなるぞ)。 心しめて読む時ぞ(ココロしめてヨむトキぞ)。 真言の神と飛来の神と(マコトのカミとヒライのカミと)皆和す時き成るぞ(ミナワすトキきナるぞ)。 あら楽し(あらタノし)、あなさやけ(あなさやけ)、普字は晴れたり(フジはハれたり) 言答開けたり(イワトアけたり)。
 あなさやけ(あなさやけ) おけ(おけ)、後の世に書きしるすぞ(ノチのヨにカきしるすぞ)、日月の神(ヒツギのカミ) 書き印すぞ(カきシルすぞ)

 冒頭の文。
“文命の言の御代の(フミミコトのコトのミヨの)、月の光りなり(ツキのヒカりなり)”
 
 “文命(フミミコト)”の“文(フミ)”はすでに解釈した通り“普字(フジ)”の“字(ジ)”が綴られた様を示し、

普字の解字
それによる使命、人間は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たして何を為していくのか、生命、生きる使命=存在理由、これを指している。 
 またこの表記は先回の“読字(黄泉)弥栄に光り文成るぞ(ヨミジヤサカにヒカりフミナるぞ)”、この意味合いを強調しているし、“光り文成る(ヒカりフミナる)”=“上”からの振動を取り込んで止め“普字(フジ)”を体得し、認識(悟り、幸取=さとり)=“読字(黄泉)(ヨミジ)”として“上”に託された使命を果たす、それが“日止、霊止”であるし、このこと事態が“弥栄(ヤサカ)”なのだということを知れ、その意図の文言である。
 少々余談になるが、たった今の平均的地球人の霊的成長度では自分が何のために生きているのか、神と人間の関係とは何か、などを真摯に考える素地を持ちえないものであり、そんな程度の人間は“役員づら”の手法に乗って自分たちの程度の低い幸福感を満たすため集めた様々な念、ことに恨みのこもった汚い金を“役員づら”の汚い所へ運んでご利益を求め、結局汚い金は恨みを背負って恨みの連鎖の霊的干渉の現象化に加担するだけになっており、それがたった今の普通の信仰や宗教の形でしかないが、こういった程度の低い人間の認識(悟り、幸取=さとり)では、この文言の解釈は出来得ないし当然のことながらここで(このブログで)述べていることのほとんどは理解不能であると思える。
 本題に戻り“月の光りなり(ツキのヒカりなり)”、これは肉体(月(ツキ))から発せられる“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラであり、“文命の言の御代(フミミコトのコトのミヨ)”は、先の“文命(フミミコト)”の“言(コト)”、事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き、“文命(フミミコト)”由来の発振、発信、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、であり、それは1番目、2番目、3番目のオーラの拡大、これ事態が“弥栄(ヤサカ)”であり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)そのものを指すものであるし、“御代(ミヨ)”に対しては何回も解釈を述べてきたので簡潔に、今後=アセンション後の“うれしうれし”“大歓喜”の事象を指すとだけ述べることとする。

 次の文。
“五十意図始めの光り知りて(タマイトハジめのヒカりシりて)、尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる) 誠の神のふでなるぞ(マコトのカミのふでなるぞ)”

 冒頭の“五十意図(タマイト)”、この表記は“その二十二”で取りあげた “読路(黄泉)の玉糸(意答)(ヨミジのタマイト)秘名の光立つ(ヒナのヒカリタつ)”、この“読路(黄泉)の玉糸(意答)(ヨミジのタマイト)”に関しては“その二十三”で簡潔に

自我における認識の高まりと進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“路”、みちすじ、そして自省(胸の磁性“十”)の心(靈)と、日に立つ心(靈)が求める“答(トー)

と解釈した。
 もうひとつ、“その二十七”の“喜び意図(五十)の(ヨロコびゴジュウの)弥栄弥栄成れる(イヤサカイヤサカナれる)”これの解釈も以下にコピペ。

喜び意図”、これは“上”、“創造”する側の“喜び(ヨロコび)”、神は生命(生きる使命=存在理由)の進化を喜ぶの意、それと“意図”、日に立つ心(靈)を図る(実現を企てる、意図する、計画する、の意)、これには“(五十)(ゴジュウ)”があててあり普通の読みではないが、“五十”は、糸巻の象形文字由来の“五”、これは進化した生命の肉体が持つ密なる神経、コイル状の神経はローレンツ力 を発現させ、進化した心(靈)は胸の磁性“十”を持つの意、“弥栄弥栄成れる(イヤサカイヤサカナれる)”、同じ言葉が二回述べられているのは日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の進化を示しており、これが“成れる(ナれる)”=完成に近づく、の意

 この二つの文言の意味を兼ね備えた表記である。

 これに続く“始めの光り知りて(ハジめのヒカりシりて)、尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる) 誠の神のふでなるぞ(マコトのカミのふでなるぞ)”、“初めの光り(ハジめのヒカり)”は“その二十五”で取りあげた“誠の善は(マコトのチは)、悪魔迄(アクママデ) 皆新め生くの始終光ぞ(ミナアラめイくのシジュウコーぞ)、惟完ざぞ(カンナガラざぞ)”、この“皆新め生くの始終光ぞ(ミナアラめイくのシジュウコーぞ)”に相当し、それは事象の始まりから終わりまで永遠に降り注がれる“上”からの振動、と解釈し、これを“知りて(シりて)”、体得して認識(悟り、幸取=さとり)とする、先の“読路(黄泉)の玉糸(意答)(ヨミジのタマイト)”の意味合いそのものを指しているし、これに続く“尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる)”、たった今の事象より…という意味合いで特に解釈の要は無い、これに続く“誠の神のふでなるぞ(マコトのカミのふでなるぞ)”、この“誠の神(マコトのカミ)”に何を感じて何を思うか、“役員づら”の述べている神の概念もなく、自分たちの低い霊的成長度における認識の神の概念でもなく、自分が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すればするほど神の概念そのものが高い認識(悟り、幸取=さとり)となりそれは荒の巻の表記の“誠一つ”あるいは今、大先生の著書の読者会の宿題にしているテーマの“善一筋”、これに相当する事象になる、それを示すという意味合いで“ふでなるぞ(ふでなるぞ)”、これは“日月神示”表記の“神示(ふで)”に相当する。

 次の文。
“心しめて読む時ぞ(ココロしめてヨむトキぞ)”

 これに関してはそのままの意味で、もっと真摯にこれら文言の意味を鑑みよ、鑑みること事態が“上”との感応になり、そうやって“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)せよ、である。

 次の文。
“真言の神と飛来の神と(マコトのカミとヒライのカミと)皆和す時き成るぞ(ミナワすトキきナるぞ)”

 人間は地球上の動物の中で一番目上(めうえ)の脳が発達しており、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を発現させうる器官を持っているし、目上(めうえ)の脳があるからこそ神の概念も幸福の概念も善悪も考え得るが、考えたことを実際に行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)としていない、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”には目をつむり自分たちの都合のために神の概念を低くしており、さらに一切の存在の幸福など全く考えていないのが平均的地球人の霊的成長度、要はこういったことを考えうる素地はあるのだが、それを行使していない、しかし今後は行使していくものであるという意味合いで“真言の神(マコトのカミ)”、真実、まこと、その“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)、これを自分たちは心の中に内在させているのだが、顕現していない、しかし今後はこれを顕現する人間でなければ次の事象の“創造”を担えない、そしてその“真”“言”を行い、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)には“上”が感応する=“飛来の神(ヒライのカミ)”、この両方の要素があいまって=“皆和す時き成るぞ(ミナワすトキきナるぞ)”となってこそ“誠一つ”であるということ。

 次の文。
“あら楽し(あらタノし)、あなさやけ(あなさやけ)、普字は晴れたり(フジはハれたり) 言答開けたり(イワトアけたり)”

 冒頭の“あら楽し(あらタノし)、あなさやけ(あなさやけ)” 夜明の巻 第十二帖から引用する。

“あら楽(たぬ)し、あなさやけ”は、古事記において天照大神が岩戸から出てきた際の文言、「天晴れ(あっぱれ)、あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あな清明(さやけ)おけ」を、艮(うしとら)の金神は引用したものであると思え、これらはたった今の事象に対して相対的な言い回し、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の台頭によるたった今の事象は、“上”から観たら、あるいは霊的成長をある程度果たした者から観たら、先の“輝く御代”でもなく、“あら楽(たぬ)し”でもなく、“あなさやけ”、清くも明るくも無い、と読み取るべき。

 これに続く“普字は晴れたり(フジはハれたり) 言答開けたり(イワトアけたり)”、“普字(フジ)”はすでに画像で意味を示し他ので省略、“言答(イワト)”に関しては“その一”から以下にコピペ。

“言答開き成り成るぞ(イワトビラきナりナるぞ)。 誠言答は永遠ぞ(マコトイワトはトハぞ)”
 “言答開き(イワトビラき)”は、平均的地球人の自我の確立=固定化の進化過程から“上”、岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、そして“慈悲”と“慈愛”という心(靈)を発現していき智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)も高まるの意、それが“成り成る(ナりナる)”、また“言答”の漢字表記は、“言”は、自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き、“答”はその結果、いわゆる“思惑の顕現”=現象化、平たく言えば因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”、ということになり、“誠言答は永遠ぞ(マコトイワトはトハぞ)”、たった今の地球は不誠実な息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で“創造”された事象で満ち満ちているが、それに相対して“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、また不誠実ではない、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”は、“永遠(トハ)”であるの意。


 次の文は荒の巻の最後の文で、意味合いはそのまま、特に解釈の要は認めない。
“あなさやけ(あなさやけ) おけ(おけ)、後の世に書きしるすぞ(ノチのヨにカきしるすぞ)、日月の神(ヒツギのカミ) 書き印すぞ(カきシルすぞ)”

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 荒の巻 第一帖 Kellyさん的解釈 “その二十六”



 今回も、荒の巻の以下の文(先回の続き)を解釈をおこなうこととする。

字そそぐ(チそそぐ)光り裏(心)山(大空間)荷負ふ(ヒカりウラヤマニナふ) 母(親)の誠に覚め(ハハのマコトにサめ)、字開く命ぞ(ジヒラくイノチぞ)。
普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ) 嬉し嬉し(ウレしウレし)、早う光の文路知らせたり(ハヨうコのフミジシらせたり)。急ぐ心ぞ(イソぐココロぞ)。読字(黄泉)弥栄に光り文成るぞ(ヨミジヤサカにヒカりフミナるぞ)。

 冒頭の“字そそぐ(チそそぐ)”の“字(ヂ)”は“普字(フジ)”のそれ、この文言の解釈の重要性が荒の巻の要旨と言いうるものであり、この画像の意味合い、そして“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、これが霊的成長と神格化、人間の存在の意義、自分たちの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”、これら一切を含めた意味合いを持つものである。

普字の解字

 そして“字そそぐ(チそそぐ)光り裏(心)山(大空間)(ヒカりウラヤマニナふ)”の“光り(ヒカり)”は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これらは太陽から降り注がれる一切の振動に含まれるが、主に可視光線の波長が事象の“創造”に関わるので“光り(ヒカり)”と称され、“裏(心)山(大空間)(ウラヤマ)”は、“光り(ヒカり)”に相対した言い回しとして“裏(ウラ)(心)”と称され、心=霊は荷電粒子の回転で構成されているが、“上”からの振動=“光り(ヒカり)”を取り込んで心=霊=○、荷電粒子の場(フィールド)を構成しており、
靈の解字 

また、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の高い部分は目上(めうえ)の脳で止まり(“日止、霊止”の表記の意味合い)、人間が発現させている心(靈)の動きである、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、目上(めうえ)の脳は智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)に関わっている部分であり、それを“山(ヤマ)”と称され、この字の表記が高い心霊が使う脳の意味とタンパク質の高分子化を示しているが、これは○○○大先生がS会=紫光会の御天筆で、以下のように示され(ちなみにこの画像は著書の<3>でも紹介している)、太陽凝視を教えてくれたKさんと○○○大先生がその意味を考えて得られた結論である。

御天筆 紫光会 

 仙人の“仙”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と|(たてぼう、こん、縦の磁性))、そして山二つの表記は、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を示し、これも“普字(フジ)”と共通の意味合いを持つものであり、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を吸収し、止め=“食”、そして神格化に至れ=“至”“神”である。
  また“(大空間)”は目上(めうえ)の脳で“観察と認識”する現津(あきつ)、観察され得る事象のことであり、ここまでの“字そそぐ(チそそぐ)光り裏(心)山(大空間)”、その意味合いを“荷負ふ(ニナふ)”、それは“母(親)の誠に覚め(ハハのマコトにサめ)、字開く命ぞ(ジヒラくイノチぞ)”、“母(親)(ハハ)”の女性表記は“創造”の“主(ヌシ)”の砌(みぎり)の極性(事象への顕現)であり、“創造”の“主(ヌシ)”が人間に託す事象の“創造”は、“誠”であり、たった今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が息吹いている不誠実ではない、これを自らに戒め自分の不誠実を正して戒め低い心(靈)の動き、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)を諌めるのが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の秘訣と言え、今後=アセンション後は心(靈)も事象も“誠一つ(マコトヒトつ)”(“その十九”と“その二十一”に登場した表記)となっていくのだ、これが進化しうる人間の使命なのだ、の意味合いで“誠に覚め(マコトにサめ)、字開く命ぞ(ジヒラくイノチぞ)”であり、文中の“字(ジ)”は“普字(フジ)”のそれであることは言うまでもなく、これを“開く”、顕現せよ、自らにも現津(あきつ)、観察され得る事象にも顕現せよ、それが人の使命なのだ、である。

 これに続く文。
“普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ) 嬉し嬉し(ウレしウレし)、早う光の文路知らせたり(ハヨうコのフミジシらせたり)”

 冒頭の“普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ)”、これはここまでの解釈を理解していたならすぐ解ると思うが、“普字(フジ)”が顕現する=“花咲く(ハナサく)”=実現する、顕現する、それは“御代(ミヨ)”、荒の巻に何回も登場する表記であり、言葉としては天皇が治める世の意味だが、形骸の権威に酔っぱらっているたった今の程度の低い人間が程度の低い人間を天皇と称しているそれではなく、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応する“一”=智性=1番目のオーラ、智性(神性)を持った人間が治め、神の思惑を顕現していく事象、世のこと、いわゆる智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を発現した人間が“創造”する今後=アセンション後の事象、それは“嬉し嬉し(ウレしウレし)”、これもたった今と相対した言い回しであり、そこには欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかがない、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化も減って消失するし、そこに存在する一切の心(靈)がこうなっていくのだの意味合いであり、そのために“早う光の文路知らせたり(ハヨうコのフミジシらせたり)”、“文(フミ)”は“普字(フジ)”の“字(ジ)”が綴られたもの、それは“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みを示すものであるから“光の文(コのフミ)”と称されその“路(ジ)”=みちすじ、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、これを早く獲得せよ=“早う”“知らせたり”である。

 次の文。
“急ぐ心ぞ(イソぐココロぞ)。読字(黄泉)弥栄に光り文成るぞ(ヨミジヤサカにヒカりフミナるぞ)”

 今後=アセンション後に移行する時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)は“創造”の“主(ヌシ)”の計画であるから決まっており、それに間に合う心(靈)の資質を獲得せよ=“急ぐ心ぞ(イソぐココロぞ)”、そしてその心(靈)の資質は“読字(黄泉)(ヨミジ)”=“普字”を体得し認識(悟り、幸取=さとり)としたさま、“(黄泉)”は、黄色が軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”であり、これは腹の振動、それは“泉”(腹の水の意もある、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、腹の位相のサイクロトロン)、こういった自我を持て、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を強く求めて目指し自分の低い心(靈)を諌める自我を持て、そうなるならば、“弥栄に(ヤサカに)”この表記自体が霊的成長の仕組みと円形加速粒子器の構造を示しているし、
彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字 

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字 

これにかかる文言として“光り文(ヒカりフミ)”、“上”からの振動を取り込んでいく様、それが“成る(ナる)”、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていく、それが又“弥栄に(ヤサカに)”の意味合いであるということ。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

« Prev|Top|Next »

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (481)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (1)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (115)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード